どさんこの底力で北の大地を立て直す 荒井さとし
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さとしの歩み
荒井さとしとYOSAKOI

■1.母の遺言
ちょうど知事室長時代のことでした。
ある北大生が高知県人会の紹介で訪れたのが今から9年前。
北海道で高知のよさこい祭りをしたい!
ついては協力を、ということだった。

「なぜ、北海道で高知のお祭りなのか?」と聞いてみた。
当時彼の母親は末期癌で高知医大にいるお兄さんのところで入院治療していた。
一緒にお祭りを見ていたら母親が
「私のような病人が見ても元気がでる祭りだね」と言ったのです。
その一言が忘れられず、遺言に違いないと思ったそうなんだ。
男が母親の話をする時は本気なんだよね。その場で高知県知事の橋本大二郎氏へ電話をかけて、応援の要請をしたところ、2つ返事で快諾してくれてスタ−トを切ったのが「YOSAKOIソーラン祭り」の始まりだったんだ。

記念すべき第1回目には、橋本知事も来道してくれて、
横路知事との公開対談(会場:北海学園大学)が実現、
また高知の有名なチ−ム「土佐山田町」と「セントラル」もきてくれて本場の踊りを披露してくれたんですよ。
この北海道と高知の両県が公に応援しているというステ−タスと
2つの客演チ−ムの背筋が寒くなるほどの迫真の踊りによって、
2回目以降飛躍的に盛り上がっていったと思いますね。

また「YOSAKOIソーラン祭り」を契機に、第3回目に再び来道してくださった橋本知事と高知−千歳間の直行便を約束して、翌年にはチャ−タ−便を、そして5回目に直行便が就航し、非常に困難なエアライン化も、この交流によって誕生したものです。
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■2.厳しさが全国展開の契機に

これまで実行委員会の勉強会で僕は、学生実行委員会の諸君に
君たちのする仕事について
「ひとつに前任者の仕事をしっかりと覚え受け継ぐこと。
そして、時代を先取り自分で工夫して前任者の一歩先を行くこと。
最後に、後任に引き継ぐこと」の大切さを訴えてきました。

そんな矢先、第5回目に転機が訪れたんです。
参加チ−ムが100を越え、運営の厳しさに学生たちは悲鳴をあげたんです。
その時実行委員長になったのが早稲田大学2年生長男の荒井優です。
当初、実行委員長になることに私は反対していました。
当時「YOSAKOIソーラン祭り」を私物化していると中傷されていた時期だけに神経質になっていたんですが、「親父の手助けでできたこの祭り、誰か馬鹿がいなきゃ壊れる」息子の決意を知ると認めざるを得なかったのです。

「ならば、この祭りを全国に広めていくこと」。
東京の学生が委員長としてやる大義が必要であることを伝えました。
それから彼は東北、名古屋、福岡、神戸、高知、京都、大阪と精力的に全国行脚し、第5回の祭りには高知大学が参加してくれることになったのです。

そして第7回には、東北、名古屋、大阪、広島の学生たちが全国にヨサコイを展開しようと札幌の合宿に参加しました。
その時講師として僕は「どうしたら祭りを作れるか?学生たちのあるべき姿は?」と同時に「自ら祭りで汗を流し踊ってみろ」と発破をかけました。
すると彼らは満面の笑みで踊りに参加し「わかりました」と帰ったんです。きっと“楽しいことは分け与えたい”という思いが息づいたんだと思います。

そして今年、仙台、大阪など全国各地で「YOSAKOI」が発足しました。あの時の種が芽をだしたのです。

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■3.困ったときは動け
また「YOSAKOIソーラン祭り」の季節が近づいてきました。
今回学生実行委員という大役を果たした若者たちについてお話します。 

毎年市内の大学・短大や専門学校で実行委員のメンバ−を募るところから、祭りの一歩が始まります。希望した若者たちのほとんどが1、2年生の未経験者ばかり。
年々チ−ム数も増え大規模になる祭りですが、若者たちが受け持つ内容に変わりはありません。

大の大人でも四苦八苦する協賛金集めの企業まわりに始まり、祭りの進行そして会場の後片づけと、約半年の間、彼らはフル回転の忙しさで駆け回るのです。
マニュアルらしきものもなく、毎年先輩たちと同じ間違いをしながらも、泣きながら祭りを成功へと導いていくのです。

優勝チームが決まって祭りのフィーナレとなり、こうこうたるライトの下で学生たちは、踊り子の歓呼に応えて抱き合って喜び合います。祭りは終わったのです。
でも学生たちの祭りはまだ終わりません。ライトの消えた暗闇の中で、懐中電灯をつけてごみ拾いをしているのです。1万人以上の観客がつめかけた4丁目広場はごみがあちこちに散らばってます。それを拾ってるのです。
このままに放置すれば来年の祭りに支障が生じるのを知っているからです。
そうして祭りを支えた学生実行委員たちの祭りは終わるのです。

やがてその苦しみと喜びを自信につなげ巣立っていくのです。
祭りで自分の可能性を、生きる目標を得た彼らは、道内はおろか全国各地で地域の若きリ−ダ−として活躍しています。
一人は道内のある役所に勤めイベントをてがけ、一人は他県の市議会議員に、そしてベンチャ−ビジネスやマスコミ関係(TV局音響関係やラジオ制作、出版社)へと翔いているのです。いずれも、祭りで体験した喜びが起点になっているのです。
言うなれば「YOSAKOIソーラン祭り」は若者たちの自己発見の場でもあり、次代を担う若者を育てる場でもあると思います。「困った時は動け!」は彼らの鉄則です。
これは我々大人にも言えることではないでしょうか。
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■4.新しい伝統を創れ
今年で8回を迎えた祭りを振り返ってみると、参加する様子に変化が見られます。
そろそろ北海道の踊りを創っていく時代を迎えていると思うのです。

基本的な太い軸となっている踊りは3つあります。
ひとつは本場・高知セントラルの存在です。
音楽も踊りも圧倒する芸術性の高い踊りは、
昨年、今年と連続優勝を果たした平岸天神にその流れは引き継がれています。
第1回に長谷川君にだまされるようにして、参加した高知セントラルチームのお世話をしたのが平岸天神太鼓の皆さんでした。身近に見て感動した平岸天神太鼓の人々が翌年セントラル調の天神踊りを創作したのです。

二つ目は小・中学生チ−ムの先駆けとなった稚内南中学の南中踊り。鳴子を持たないため、審査の対象にならないのですが、その若さ漲ぎる素晴らしさは見る人に感動を与えています。
ここには校内暴力からの脱皮をはかる諸先生と生徒たちの汗の結晶が背後にあることも感動を呼ぶ要因と思います。

そして参加者自由、振り付けも衣装も思いのままという、ミスタ−YOSAKOI・宮本さん率いる「どっこいしょ」の踊りです。
音楽に合わせて踊るだけというもの。本当に楽しそうです。
全国各地から同じような祭りを思案する方々が私のところを訪ねて来ますが、必ずここで汗をかくことを、踊ることの楽しさを体験していただくのですが、皆一様に眼を輝かせ帰られます。

かつて高知セントラルがよさこいの踊りを単なる盆踊りから変えたように、伝統を踏まえ新しい血を導入し新しい伝統をつくることは,祭りを発展させるには必要なことかもしれません。
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■5.暴力中学を救った南中踊り
「南中踊り」で知られる市立稚内中学校は、全国一荒れた中学校としても名を馳せていました。このままじゃいけないと、校長ら職員はその学校を何とか再建しようと奮闘していたんですね。
その教育の一環だったのが「YOSAKOIソーラン祭り」でした。

発端は民謡歌手の伊藤多喜雄さんが、稚内南中の生徒が踊る姿に感動してのこと。稚内の風土がもたらす中学生のエネルギッシュな踊りに、多喜雄さん自らが歌い、彼の友人が振り付けを担当したのです。

そして平成5年に開催された日本民謡民舞大会では奨励賞、翌年には大賞を受賞するまでになったのです。
そんな伊藤さんの指導を知った、祭りの発案者が彼らに出場を要請するのです。
生徒たちは話し合い、決めました。
修学旅行として札幌に行こう!
私も未だに忘れられません。
初めて彼らの踊りを間近に見て感動したことを。
ソ−ラン節の素晴らしさを表現し、またYOSAKOIの原点がここにあると実感したものです。
また、踊る彼らも汗をかくこと、人に感動を与えることの素晴らしさ、そしてそれをマネ−ジする大切さを学んでいったのです。

やがてYOSAKOIソーラン踊りを背景に中学は次第に回復していくんですね。
そんな汗と涙の物語が『稚内発〜学び座』として映画化されました。
全国の教育関係者の中で、ここには子供たちの本当の気持ちがある、教育の原点があると評判を呼び、全国あらゆるところで自主上映されているのです。
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■6.爆弾は少年の心臓を貫いた
なんと言うひどいことをするのでしょうか。
YOSAKOIソーランで爆弾が仕掛けられ、19歳の学生が重態となりました。
爆弾の中に殺傷力を高めるために釘が詰められていて
そのうち5センチほどの釘が心臓を貫いたとのことでした。救急車はその少年の様態を見てすぐさま心臓手術では高名な札幌医大に運びました、なんと言う幸運でしょうか。心臓の大手術がキャンセルされ手術チームが手持ち無沙汰にしていたのだそうです。
しかしほとんど絶望的な状態で心臓手術のさいは生存率20%と宣告されたとのことです。
手術後意識が30分ほど戻りました。声は出せず、しきりに紙と鉛筆を求めたので、お母さんが渡すと、彼「自分以外に重態の人出たか?」と書きました。お母さん大事そうにその紙握り締めていました。

いまどきの若者はとか言う向きが多いのですが、この少年自分より他人、仲間を案じたのです。きっとこの少年、立派な北海道人になることでしょう。
何とか回復してほしいものだとの願いから、当選祈願の千羽鶴を持っていきました。

私はこの祭りを応援するときの条件として、
1、学生が祭りを作り下支えをすること、
2、道庁や札幌市の補助金を頼りにしないことを挙げました。

いまだに彼らはこの条件を守っています。無償のボランティアで約半年準備をし祭りの裏方をするのです。毎日会場のごみを拾い苦情の処理をしているのです。
そのごみ拾いを知っててその中に仕掛けていたのです。
なぜ爆弾を仕掛ける必要があるのでしょう。警察のかたがたにお願いします。
この犯人どうしても捕まえてください。

千羽鶴が利いたのか彼この14日に退院しました。
しかしその日にエアドゥの濱田社長が心筋梗塞で急逝されました。
私にはラガーマンの頑健な濱田社長の心臓をもらったのではと
思ってしまいました。
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