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1946年 |
誕生 |
5月27日北海道石狩郡当別町生まれ |
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1959年 |
12歳 |
札幌商業高校の教師で札幌慈恵学園(現在の新陽高校・札幌第一幼稚園)の創設者だった父(龍雄)が突然の死去 |
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「教育とは共に考え、決して見捨てないこと」という父の言葉が忘れられません。 |
札幌市豊平小学校を卒業、札幌市立八条中学入学
陸上部を創設、100メートル12秒の記録保持者に |
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1965年 |
19歳 |
札幌南高等学校卒業 |
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1970年 |
23歳 |
大学卒業、農林水産省入省
中学時代から付き合っていた彼女(吉枝)と結婚 |
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1979年 |
33歳 |
外務省勤務、スリランカへ赴任
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国にも自主独立の精神が必要だと感じ、政治の道を歩むきっかけとなったんです。 |
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1984年 |
38歳 |
母が突然の死去
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女手一つで三人の子供を育て上げた母。戦争時代を生き抜いた女性の強さを感じました。きっと、戦後の日本を支えてきたのは母のような人たちなのでしょう。 |
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1986年 |
39歳 |
北海道庁勤務
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北海道中の本当にたくさんの方々と会うことができました。そして農業をはじめとした、北海道が抱えている問題、地域の現状を知ったのです。 |
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1991年 |
45歳 |
北海道知事室長として二回目の北海道庁勤務
同時に東京大学講師も勤める |
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1993年 |
46歳 |
衆議院議員に立候補、初当選
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勇気を出して自分が一歩を踏み出さなければ社会は何も変わらないと思い、立候補。僕の挑戦がここからスタートしました。 |
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1995年 |
49年 |
福祉やHIV問題をはじめ、経済対策・地方分権などのプロジェクト座長を務める
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1996年 |
50歳 |
衆議院議員選挙に立候補
51,479票獲得するも、2,800票差で次点。浪人生活へ
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地域と語り合うことの大切さを改めて確認させてもらう日々でした。このときにパソコンも扱い始め、はじめはマウスの扱いすらままならなかったけれど、今では簡単なプログラムも組めるようになりました。何事も取り組み方次第だと実感しました。 |
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2000年 |
53歳 |
第42回衆議院議員選挙にて2期目の当選
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たくさんの人が期待してくれていること、たくさんの方々とお話したことが私に勇気をくれました。 |
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総務委員会理事に就任
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2001年 |
54歳 |
党の総務局長に就任 |
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年金プロジェクト座長、古川さんとともに401k年金をまとめる。
その後年金一元化構想を提示。 |
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2002年 |
55歳 |
郵政事業プロジェクトチーム座長に就任
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郵政公社法案を取りまとめました。 |
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2003年 |
56歳 |
党役員室長となり、代表や幹事長のブレーン役となりました |
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2003年 |
57歳 |
第43回衆議院総選挙にて3期目の当選 |
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マニフェスト選挙の構想を手がける、農業政策を民主党の柱に据える |
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2004年 |
58歳 |
民主党ネクストキャビネット「環境大臣」に就任 |
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衆議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員長に就任 |
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菅代表とともに国連、バチカン、北欧を訪問、和平外交の構想を検討 |
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2005年 |
59歳 |
第44回衆議院総選挙にて4期目の当選 |
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民主党にとって大変厳しい結果となりました。皆様から頂いたご期待に添えられるように、様々な課題に取り組んでいきたいと思います。 |
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2006年 |
60歳 |
民主党「国会対策委員長代理」に就任 |
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議院運営委員会筆頭理事 |
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2007年 |
61歳 |
北海道知事選に出馬 |
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疲弊した北海道をなんとかして立て直したい。その思いから大きな挑戦をさせて頂きました。皆様のご期待に応えることは叶わなかったものの、私の訴えたマニフェストが、夏の参議院選挙で民主党のマニフェストに多く取り入れられました。 |
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2008年 |
62歳 |
国政復帰に向け奮闘中(民主党北海道第3区総支部長) |
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2007年4月8日、981,994票をいただくも北海道知事選敗北。しかし、全道を回ったことで疲弊しきった故郷を目の当たりにし、まだまだやるべき使命があると感じました。この1年半、何としても国政に届けなければならない声を多く託されました。私はいま、その一人一人の顔を思い浮かべながら奮闘しています。
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