154-衆-予算委員会-26号 平成14年04月25日 (民主党WEBサイトニュース

平成十四年四月二十五日(木曜日)
午前十時開議
出席委員
委員長 津島 雄二君
理事 伊藤 公介君 理事 木村 義雄君
理事 北村 直人君 理事 小林 興起君
理事 藤井 孝男君 理事 枝野 幸男君
理事 城島 正光君 理事 原口 一博君
理事 井上 義久君
伊藤信太郎君    伊吹 文明君
石川 要三君    衛藤征士郎君
大原 一三君    岡下 信子君
奥野 誠亮君    亀井 善之君
小坂 憲次君    小島 敏男君
佐藤 剛男君    中山 正暉君
丹羽 雄哉君    萩野 浩基君
林 省之介君    細田 博之君
松宮  勲君    三塚  博君
宮本 一三君    持永 和見君
八代 英太君    山口 泰明君
赤松 広隆君    荒井  聰君
五十嵐文彦君    池田 元久君
岩國 哲人君    河村たかし君
中沢 健次君    永田 寿康君
野田 佳彦君    松野 頼久君
松本 剛明君    青山 二三君
赤松 正雄君    東  順治君
都築  譲君    中井  洽君
中塚 一宏君    児玉 健次君
佐々木憲昭君    中西 績介君
横光 克彦君    井上 喜一君
西川太一郎君
…………………………………
参考人          辻元 清美君
予算委員会専門員     大西  勉君
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委員の異動
四月二十五日
辞任         補欠選任
亀井 善之君     佐藤 剛男君
栗原 博久君     松宮  勲君
高鳥  修君     岡下 信子君
野田 聖子君     伊藤信太郎君
山口 泰明君     小坂 憲次君
筒井 信隆君     永田 寿康君
松野 頼久君     荒井  聰君
青山 二三君     東  順治君
達増 拓也君     都築  譲君
山口 富男君     児玉 健次君
井上 喜一君     西川太一郎君
同日
辞任         補欠選任
伊藤信太郎君     野田 聖子君
岡下 信子君     高鳥  修君
小坂 憲次君     山口 泰明君
佐藤 剛男君     亀井 善之君
松宮  勲君     林 省之介君
荒井  聰君     松野 頼久君
永田 寿康君     筒井 信隆君
東  順治君     青山 二三君
都築  譲君     達増 拓也君
児玉 健次君     山口 富男君
西川太一郎君     井上 喜一君
同日
辞任         補欠選任
林 省之介君     栗原 博久君
―――――――――――――
本日の会議に付した案件
予算の実施状況に関する件(公設秘書問題等)

     ――――◇―――――

○荒井(聰)委員 民主党の荒井聰でございます。
私は党で秘書問題を担当してございますので、その立場からいろいろお聞かせください。辻元さん、少しやせましたか。
かつて、十年ほど前でしょうか、自民党にユートピア研究会がございまして、若手の国会議員が、政治活動費に一体どのぐらいのお金がかかるのかということを有志で調査をいたしました。たしか私たちの代表の鳩山さんもその中に入っていたかと思いますけれども、その当時、約一億円ぐらい、政治活動費、特に事務所経費にかかるという調査をしてございます。
そのためにさまざまな制度改革をしたわけですけれども、その中の一つがまた政策秘書といったようなことなのかもしれませんけれども、もしもお聞かせできるんでしたら、辻元さんは、地元及び東京の事務所で、事務所経費として、政治活動費としてどのぐらいの経費をかけられたのか、それをお聞かせ願いたいんですけれども。

○辻元参考人 平均しますと大体四千万円ぐらいではないかというように思います。年によって、やはり選挙がある年とか、ちょっとでこぼこがあると思うんですけれども、その程度だと思います。

○荒井(聰)委員 私もそのぐらいの経費をかけてございます。私の場合にはまだ、あなたよりも人生経験も長いですし、あるいは私を支援してくれるかつての職場の同僚などもおりますから、それでも、私の場合にはそれだけのお金を集めるのは大変な思いをしてございます。そんな中で、三十代のあなたがそれだけの資金を集めるというのは大変な状況だったのだろうというふうに思います。
ところで、話題を変えまして、あなたの政策形成能力というのは私は高く買ってございます。よくやっておられるなというふうに思います。それが、先ほど、どういうふうにやっているのかなというふうに思っていましたところ、三人のチームでやっていた、三人の専門的な人たちでさまざまな政策の検討をしていたということをお話しされたわけですけれども、そうすると、今の制度でいけば、三人分の政策スタッフを雇わなければならないということになるわけですけれども、それは恐らく、事務所経費なりあるいは政治資金のいろいろな状況からいって大変無理なんだろうというふうに思います。
その過程の中で、あなた自身どんなことを、政策スタッフを自分の手伝いになってもらうために考えられたのか、そこをちょっとお聞かせいただけますか。

○辻元参考人 議員立法を推進していくということを一つのテーマに活動してきましたが、やはり一つの法律をつくり上げるには、一人の人がつきっきりになってもできるものではないというふうに非常に痛感いたしました。そういう意味では、一つのテーマを自分が、例えば情報公開法、先ほど申し上げましたが、そのときも、情報公開法をつくる期間、もっと情報公開法に詳しい方を雇い入れたいと思うわけなんですけれども、なかなか現行のシステムではそういうことが財政的にもシステム的にも難しいという、試行錯誤の日々だったように思います。

○荒井(聰)委員 あなたは秘書問題の責任をとって辞職をされたわけですけれども、国会議員が辞職をするというのは大変重たいことですし、また、その決意をされたというのは私は大変潔いことだというふうに思うんです。
しかし、今、あなたがやってきた、そしてそれなりの政策形成で実績を残してきた、そのことを考えるならば、秘書制度問題そのものにさまざまな欠点がある、欠陥がある、それを是正する必要があると身をもって思っていたんではないかと思うんですね。それをできる立法府におられたわけですから、それができる立場にいたわけですので、私は、泥をかぶってでも、本当は辞職をしないで、秘書制度問題なりあるいは国会議員とお金の問題というものをもっと徹底的に、当初そういうお話もされていたように思うんですけれども、それをするべきではなかったかと思うんですけれども、いかがですか。

○辻元参考人 私が辞職いたしましたのは、制度の問題だけではなく、やはり私がとった態度を反省しなければいけないと強く思いました。
それは、週刊誌の件で最初に記者会見をしまして、非常に恥ずかしいんですけれども、不快感があったり感情的になったということもありまして、全面否定してしまいました。それが結果的に、後で違う結果であったということがわかり、これはやはり信頼を損なった、自分がそういう態度をとったことはきっちりけじめをつけなければいけない。そしてもう一つは、政治不信を払拭したいという気持ちで働いてきたにもかかわらず、そういう気持ちをとってしまったために、政治不信をみずからの存在が深めてしまう立場になってしまった。
それが、ごめんなさい、秘書制度のこともあるんですけれども、やはり自分の言っていたこととやっていたことが違っちゃいけないと思って、それで辞職を決断しました。済みません。

○荒井(聰)委員 泣かないでください。地元の支援者から、辻元さんを決して泣かせるなと電話が入っていましたので。
辻元さん、私は、あなたの責めは二つあると思っています。
一つは秘書問題。この秘書問題は、立法府に存在しているあなたが法律に違反している、あるいは、制度が抱えている問題はあるにしても、その制度を逸脱して運用していたということ、これが第一ですね。
それともう一つは、今、国会で大きな問題となっているのは、口ききによってさまざまな、政治と金の関係が問題にされているわけですね。公共事業という、国の税で国の財産を形成する過程で、特定の業者のために口をきいて、そしてその成功報酬という形なんでしょうか、その一部分が後援会に流れるといったようなシステムが現に存在しているということが、あなたの努力もあって、さまざまな形で指摘されてきたわけです。それこそが解決しなければこの国はよくならない、それが政官財の癒着の構造を断ち切ることだとあなたは常々主張してきましたし、私もそう思います。
しかし、このことによって、あなたのこの疑惑によって、この二つの疑惑が一緒くたに、あるいはむしろ、もっと大きな疑惑の部分が何か小さくなってきているような、そんな国会の中の印象を与えてしまったわけです。これはあなたがもたらした第二の責め、むしろ大きな責めだと思うんですけれども、そのあたりについてどうお考えですか。

○辻元参考人 私は、公共事業の口きき問題というのは、これは日本の政治にとって一番大きな問題だと思っています。やはり、何千万というお金が口ききで動くという利権政治は何としてもストップさせなきゃいけないというように考えてきました。しかし、この秘書の問題、これは秘書の給与をどのように使うかという問題ですので、当初は何か、同列に論じられることに不公平感や、自分に、何かこれは質が違う問題じゃないかという気持ちが強く働いていましたし、今もそう思う点は多々あります。
しかし、だからといって、私が行った言動や、それから秘書制度のあり方、現行の秘書制度ではこれは問題があるというところは、きちっと反省しなければならないと思います。

○荒井(聰)委員 いや、そのとおりですね。反省するべきは反省することが必要ですけれども、しかし、私としては、あなたが追及していった公共事業にかかわる部分について、どのような立場であっても、あなたの政治的な信念として、今後も追及していただいたらいいんではないかなというふうに思っています。
ところで、あなたが、この疑惑の中で、自己の危機管理という意味では多分失敗をされたんだろうと思うんですね。その危機管理を失敗したきっかけになったのは、マスコミに最初に公表したということですね。
マスコミというのは、あなたはマスコミの寵児です、マスコミはあなたをいろんな形で番組に出したりテレビに出したりしていたわけで、恐らく御本人も、自分はマスコミに支持されているというふうにお考えだったのかもしれません。
しかし、私の数少ない経験から、特に細川政権の経験からいっても、マスコミの寵児というのは実は視聴率なんですね。視聴率が高くなる人を、その人を出していくということで、あなたが出れば視聴率が高くなる、あなたが追及していけば視聴率が高くなる、そしてまた、あなたが困惑すれば、困窮すれば、これもまた視聴率が高くなる、そういうものをマスコミは求めていくんですね。マスコミの寵児というのは、私は視聴率だと思っているんです。
そこのところをあなたは勘違いをして、一番最初にマスコミに自分の思いというのをしゃべってしまったところに、自分の危機管理をしっかりできなかった、そういうものがあったんではないかと思うんですけれども、このあたりについてどう思いますか。

○辻元参考人 私がテレビで発言したということについての御指摘かと思います。
私自身は、常に一人一人の市民と向き合うということを大事にしたいと思いながら、つじ立ちをしたり、直接話をする、議論をするということを大事にしてきたにもかかわらず、この件での対応については、特にテレビの力を過信した点はあったのではないかというように反省しているんです。やはり、そこに自分の未熟さを今痛感していますし、今後、やはり私は、自分のそういう反省点の心の気持ちをきちっと聞くべきであるというように今回思っております。

○荒井(聰)委員 あなたは、テレビで公表する前に、自分の同僚議員やあるいは支援者の方々に自分の心情あるいは真実を話をするべきで、そして、それの理解を得るべく努力をするべきだったと思います。
残念ながら、あなたはこの自己の危機管理という点では失敗をしたように思います。政治家の大きな使命というのは、国の危機管理です。自分の危機管理に問題がある場合にはまだまだ政治家として未熟だというふうに、今あなたもおっしゃいましたけれども、そのように思います。
最後に、私のかつての職場での先輩が政治家になって、そして落選をしました。トップまで上り詰めて、その後落選をしたわけなんですけれども、そのとき、自分の不明、不徳を恥じて、自分の支援者に毎日毎日話をしに行ったそうであります。猪苗代の周りを毎日毎日歩いた、それが、後世、彼が外務大臣になり、あるいは総理大臣にも擬せられるような、そういう大政治家に成長したゆえんだと御自身で語っておられました。
私は、あなたの才能を高く買ってございます。頑張って、これにめげずに頑張って、次の機会もう一度出てくるように、これで私からの質問を終わります。ありがとうございました。