2018.03.12.日赤医療センター附属乳児院を視察

行政文書改竄を巡って国会は与野党が激しく衝突、大荒れになっていますが、子供たちの未来やインクルージョン社会を実現していくことの重要性、政策づくりにおいては与党も野党も関係ありません。

本夕、永田町子ども未来会議 の有志メンバーにて、日本赤十字医療センター附属の乳児院を見学させていただきました。病院附属の乳児院は、都内で唯一ここだけです。

総務大臣の激務にありながら積極的に現場に足を運び続ける野田聖子さんの行動力には、いつも敬服致します。細野豪志さん、木村弥生さん、そして先日子ども未来会議のメンバーに加わった今井絵理子さんらとご一緒しました。

今井さんはご自身のお子さんにも耳が聴こえないという障害があります。包むような笑顔で、耳の聴こえない女の子と手話で会話を交わし女の子が思わず抱きついた姿に心が温かくなりました。

手話で話す今井絵理子議員。

この乳児院には、定員70名のうち、なんと20名近い医療的ケア児たちが入所しています。養育困難や虐待、ネグレクトや心理的虐待といった親の精神的な理由や知的障害などが原因となって、実親のもとで生活することができない子どもたちです。

乳児院は通常3歳までですが、現在のところは就学まで、実際には就学を過ぎても行き先がなくている子供達が多数いるという今井院長先生の説明に、本当に心が痛みました。

医療的ケアのある子どもを受け入れてくれる措置先が非常に少ないため、一度入所するとなかなか退所できない。10年前の設計時には、ここまでの重症児の受け入れや年齢超過を想定していなかったことから、お風呂や遊び場などのハード面が就学時前の大きな子どもたちにとっては必ずしも十分とはいえないといった、社会が想定していなかった状況による課題に直面しています。

対応に苦慮している具体例として、親御さんが受け入れられなかったダウン症のお子さんの話を伺いました。入所時点ですでに3歳。医療的なネグレクトで親御さんが気管切開を拒否したが、自発呼吸が困難となったため親権を剥奪して気管切開後に、元の乳児院にも戻れず受け入れ先がなかったそうです。5歳11ヶ月となる現在も受け入れ先が決まっておらず、当初は重症心身障害児施設、肢体不自由施設、知的障害施設すべてに断られた経緯。最終的には知的障害施設に受け入れてもらえそうだが、気管切開にうまく対応できないため看護師も新規に雇って対応しようという方向だが、通学もうまくいかなそうで一緒に遊べる子もいないという状況で、小学校入学は乳児院で迎えることになると。

「絶対数は少なくても社会的養護を必要とする医療的ケア児の存在が現実にある。児童相談所の職員数が少なく、1人あたりの担当ケースがあまりに多いこと、医療的ケア児は知識も必要で、対応も難しいので後回しになってしまう。」

「都のレベルでは対応できない。国が果たすべき役割があると感じる。決して大きな制度改革じゃなくてもいい。制度ができるまで待っていたら、子どもたちはどんどん大きくなってしまう。その前に、子供達にはみんなに愛されて大切にされているんだとわかってほしい」と。

本当にその通りです。一番弱い人たちのところに、一番重たいしわ寄せが来るという今の社会の構造を変えて行かなければ、日本社会全体がいずれ活力を失ってしまいます。 これは政治の課題であると同時に、私たち一人一人が考えなければならない問題でもあります。

日赤乳児院の皆さんの高い使命感に頭が上がりませんが、本来は社会が制度としてなすべき仕事を、現場の善意に寄りかかっていてはなりません。持ち帰って、具体的に何ができるか、何をすべきかを真剣に考えます。

野田聖子さんの言葉に、私の思いも全てが集約されています。

「永田町子ども未来会議で、何年も専門的な議論を行ってきたが、まさか医療的ケア児が親に捨てられるという発想がなかった。気がつかなかった新たな課題 。これまでは医療的ケアの必要な我が子のことを、在宅医療で一生懸命やっている親をどう支えるかという議論だった。子ども全体の問題と考えたときに、健常児も虐待で捨てられる中で、(医療的ケア児がネグレクトされる可能性を)普通の子よりも多いと見立てた上で、先々のことを考えた対策を打っていかなければならない」

保育室や障害児室で子どもたち・看護師さんや保育士さんらスタッフの皆さんにお話を聞かせて頂きましたが、子どもたちの無邪気で、大人を信じている笑顔がただただ可愛いかっただけに、とても重たい宿題を貰いました。

すべての子どもたちが社会の中に居場所があって、温かい療育や教育を受けることができる未来のために。

粉骨砕身、まだまだ頑張ります。