福島県立ふたば未来学園へ
福島原発事故後、双葉郡8町村の多くの地域が帰宅困難区域に指定され、住民の多くが避難生活を強いられました。避難指示が解除された地域、居住制限区域、依然として帰還困難区域が入り交じる双葉郡は、震災から8年経ってなお原発事故の被害に直面しながらの日々の暮らしが続いています。
この地域の持続可能な未来や復興を担う人材を地域で育てるという強い意志のもとに、#アクティブラーニング (実践的課題解決学習)を積極的に行う中高一貫校が設立されました。
それが、復興のシンボル的存在として全国から注目される #ふたば未来学園 です。8割が双葉郡の出身。県内に離散して避難した多くの子どもたちが、避難先でいじめを受けたり、大きな喪失経験に直面しました。5年前に高校が開校し、今年、地域の念願だった中学校も無事に開校しました。
半年前に完成したばかりの新校舎に、#南郷市兵 副校長を訪ねました。南郷さんは民間から文科省に出向し、そのまま文科省に本籍を移して復興地域における教育に奔走してきた若手の俊秀です。ふたば未来学園創建の立役者の一人であり、副校長として文科省から出向赴任して5年目を迎えます。家族とともに生まれ故郷ではない福島に赴任する。並大抵の覚悟ではできないことです。
久しぶりに南郷さんにお会いして、現状や課題を聞かせていただき、校内や生徒たちの授業の様子を見てまわりました。
開校から数年たって、ふたば未来学園が目指す未来創造型教育のビジョンが先生たちにも地域にも根付きつつある一方、財政的自立という試練にも直面しています。
地域の様々な人たちにインタビューを重ねて、生徒たちがグループワークとして演劇を作りあげ、自らの手で演じるという非常に重要な授業があることに以前から注目していました。東京公演の観劇に駆けつけたこともあります。過酷で不条理な喪失体験を乗り越えるということは生半可なことではありません。自ら表現すること、演劇やアートの力を教育に取り入れる意義は深いと感じています。
東京や全国では金賞を獲得するふたば未来学園の演劇ですが、地元ではほとんど評価されず、ニュースにもならないと聞いて不思議に思っていましたが、あまりにも辛い、現在進行形の苦しい体験を演劇で見せられる(追体験)することは、辛いことなのだと理解しました。
帰路は、高速道路を降りて、浪江町や楢葉町、田村市、葛尾村といった帰還困難地域とその周辺地域を通って郡山まで戻りましたが、人が戻れずに荒廃した町、ようやく山林除染に着手がはじまったようで、大規模除染やフレコンバッグだらけになっている町。紅葉は散り際でしたが、里山の風景だけは変わらずに美しいことがまた物悲しく映りました。
先祖伝来、長年住みついてきた故郷を喪うということの意味、取り返しのつかない事故を起こしてしまったということに、目を背けずに向き合っていかねばなりません。