北海道知事選 奮闘記
「ほっとけないしょ、北海道。」 荒井さとし17,000キロの挑戦!
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荒井さとしってどんな人?
石狩管内当別町に生まれ、
フロンティア精神を持った生粋の道産子です。
12歳で父親を亡くし、母子家庭で育つ。地域の人たちが父親代わりに。
苦労人で子供を愛する誠実な人です。
農林水産省・北海道庁に勤め、
北海道の基幹産業である第一次産業に強い人です。
「YOSAKOI ソーラン祭り」を実現させた、
構想力と実現力を兼ね備えた人です。
好きな食べ物はジンギスカン。
毎週、地域FMに出演する飾らない大衆政治家です。
荒井さとしプロフィール
1946年 :  北海道石狩郡当別町生まれ
札幌豊平小、札幌八条中、札幌南高、東京大学農学部卒業
1970年 :  農林水産省入省
1979年 :  外務省出向、スリランカへ赴任
1986年 :  北海道庁出向
1991年 :  2度目の北海道庁勤務。知事室長となり「よさこいソーラン祭り」の実現、「北方領土ビザなし交流」の創設などに力を注ぐ。
1993年 :  衆議院議員に初当選。現在4期目
2004年 :  北方領土特別委員長
2006年 :  衆議院・議員運営委員会筆頭理事
Private Profile
■ 家族構成 妻、一男一女
■ 趣味 スキー、乗馬
■ 血液型 O型
■ 星座 ふたご座
■ 愛読書 司馬遼太郎「竜馬がゆく」
■ 尊敬する人 新渡戸稲造
■ 座右の銘 無私、まっすぐ駆ける
 荒井さとしのパートナー、吉枝さんに聞く
とにかく若い人を育てることがすき。よく話を聞いて、一緒に何でもやります。北海道が大好きな人です。
プライベートな荒井さとし
 出会いは八条中学校時代
夫は陸上部の先輩で、私が1年下です。夫は短距離選手、私は リレーや3種混合、高飛びなど、他の人がしない競技をしました。 陸上部のみんなで大会に遠征したり、海水浴に行ったりという間柄でした。
 いつも近くにいてくれた人
高校も同じで、時々いっしょにお弁当を食べました。 高2の時、私は父の転勤で東京に引っ越しましたが、東大生だった夫がご飯を食べに来たり、受験の相談に乗ったりしてくれました。
他の男性とお付き合いすることもなく、なんとなくずっと目の前にいたような感じがするんです。
 子どもたちがよき理解者
初めて選挙に出る時は、反対でした。生活がまるっきり変わるということに不安があったんです。 でも、子どもたちが、「お父さんが決めたのだから理解してあげて。自分のことは自分でするから」と言ってくれました。 その頃は横浜に住んでいましたので、浪人生の長男と高校2年の娘を横浜におき、私と夫がふるさと札幌に戻りました。 子どもたちの方が理解がありました。
 夫を一言で表現すると
目標が明確で、バランス感覚が優れていると思います。学生紛争のさなか、左翼的な思想も右翼的な思想も必ず両方読むと聞いて、 びっくりしました。夫は今も、いろいろな意見を聞きながら日本の行く末を見つめ、世界の中の日本を常に意識しながら、 自分の進路を取っていると思います。
もうひとつは、「無私の精神」の人。己を捨てなければ仕事はできないという信念を持っています。 本当に欲がないんです。経歴を見ると優等生な感じを受けるかもしれませんが、茶目っ気もあるし、 普通の少年がそのまま大きくなったという感じなんですよね。
 孫が3人?
東京にいる長男が32歳、横浜にいる長女が30歳。3歳と0歳の孫がおり、今年、もう1人生まれる予定です。 じいちゃん、ばあちゃんと呼ばれています。
 人の痛みやあたたかさのわかる人
夫は12歳で父親を亡くし、母親と弟妹の3人で助けあい、ご近所や周りの方たちに支えられて成長しました。 ですから、人の痛みや心の温かさが体にしみてわかっている人です。 弱い立場の方に対するやさしさを存分に発揮できるのではないかと思います。
 性格は頑固でおおらか、マイペース
頑固な部分も、おおらかな面もあります。マイペースでせっかちなところがあるので、 そこを理解していただくのに時間が必要かもしれません。 自分のペースで話すので、もうちょっと丁寧に説明をしながら話してほしいと思っています
政治家の妻として
頑固な部分も、おおらかな面もあります。マイペースでせっかちなところがあるので、 そこを理解していただくのに時間が必要かもしれません。 自分のペースで話すので、もうちょっと丁寧に説明をしながら話してほしいと思っています
ふるさと北海道への思い
 やむにやまれぬ気持ちで出馬
今回の挑戦は2期目の現職に向かうというとんでもない話ですけれど、やむにやまれぬ気持ちが強かったんです。 「北海道の将来に対して、これでいいのか。4年間このままだったら、北海道は本当に取り残されてしまう」という気持ちで、 黙っていられなくなり、立ち上がったのではないかと思います。
 いつも道民の目線で国にもの申す
皆さんも期待してくれていますし、夫は北海道のために絶対にいいリーダーになれると私も思っています。
夫が衆議院議員となった1年半後の1994年に出版した『まっすぐ駆ける』という対談集を読み返したのですが、 主張がその頃とまったくぶれていませんでした。
「いつも道民の目線に立って、国に対してもの申していきたい」と主張し、一貫して実行してきました。 あらゆる政治家と北海道のトップリーダーが一緒になって主張すれば、北海道が立ち上がる原動力となると期待されていますし、 夫にはそれができると思います。
政治家としての荒井さとし
 当時の仲間がいまも応援してくれる
「興味があっても自分たちにはできない政治活動を、荒井が代わりにやってくれている」と、学生時代の友達がずっと応援してくださり、 皆さんの思いといっしょにやってきた感じですね。
また、夫の父が札幌商業高校の教師でしたが、当時の教え子さんたちが、「先生へのご恩返しでお前を鍛える」と応援してくださいます。
お金も何もない夫が国会議員としてやってこられたのは、多くの方に支えていただいているお陰と、今も心から感謝しています。
 農林省出身だから農業に詳しい
北海道知事室長の時代に、知事といっしょに北海道中を回りながら、基幹産業としての農業を勉強させていただきました。 「北海道では冬の間は土を休ませているから、農薬が少なくても作物ができるんだよ」と聞き、びっくりしたことを覚えています。
 政治のありようは国を左右する
夫が政治に目覚めたのは外務省からスリランカに出向になった時代だと思うんですね。 「政治のありようによって、国は元気にもなるし、ダメにもなる」ということを目の当たりにしたからではないでしょうか。
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