2007/12/31 内閣改造?
2007年も暮れます。私にはいろいろなことがあった1年です。明日の日本を創るため全力を尽くしましたが、力及ばずの点もありました。しかし足元を見つめなおす良い機会を与えられたことも事実です。昨日福田総理が北京で内閣改造に着手ともらしました。2008年予算案を創った人が国会で説明しないということです。予算案を審議する大臣は別な人になるのです。異常なことです。もっともこの予算を執行する大臣も、別な人になるでしょう。総選挙で政権交代するのですから。
2007/12/23 司法の範囲を超えられない、。ホンと?
町村信孝官房長官の言です。行政は法律に準拠して行動します。その行動が法を逸脱していないかどうかを判断するのが司法です。しかしその法律が現実にそぐわなかったり、齟齬が生じていれば改正しなければなりません。その作業は政治家の仕事です。だから内閣は「過半数以上の政治家で構成す」とされているのです。なぜ総理大臣が政治家なのか、理解していません。薬害被害者は、行政官たる総理大臣に政治判断を要望したのではなく(それははなからできないことです)、政治家としての判断を要請したのです。今回は明らかに行政の齟齬です。行政府が自ら法律の案を提出するのが筋でしょう。ここをとりちがえているから官僚の言うままの内閣になったのです。それにしても基本的な理解欠如のまま、支持率急落の取り繕い策くなら早晩この内閣、瓦解するでしょう

2007/12/15 各地での意見交換会を進めています
各地で集会を行っています。民主党に政権交代を期待する声が数多くあります。行き詰った地域経済に激怒する中小企業者、負担増に継ぐ負担増に悲鳴を上げる若い夫婦、かっての戦争の足音を思い出すというお年寄り。どこに現在の自民党政権に期待している人がいるのだろう。国民は解散総選挙を待ち望んでいる。

2007/12/13 公約は選挙のときは例外か
町村官房長官、舛添厚生大臣、この方たちは選挙公約は選挙時のことだからどうでもいいと思っているらしい。選挙時だからこそ真剣な約束事と国民は思っているのに。どうもこの政権、国民の常識とかけ離れている。5000万件の照合は来年3月までは不可能だと民主党は指摘しているのに、何が何でも最後の一人までやるといってたではないか。なんともさびしい内閣だ。
2007/12/10 FMアップル放送
豊平区のミニFM放送に出演するようになって10年が経ちます。その時々の政治経済の話をしています。パーソナリティの福津京子さんとのコンビも息が合って、ほとんどの事前打ち合わせもなく本番です。時々ラジオを聴いている方からお便りを頂きます。インターネット放送も始めました。この10年間政治の世界は変わりました。
2007/12/3 師走になりました
支援者とのふれあいトークを各地で実施しています。お年寄りの嘆きがはなはだしいです。介護保険料の値上げ、年金課税、所得控除の減額、医療費の値上がり、そして食料品や燃料費の値上げ。いったいどうしてこんなことになったのか?(政治は何をやっていたのか)厳しいお叱りです。「政治は生活」がここ数年行われていなかった証です。自民党政治の限界を見せています。
2007/11/28 電力ユニオンで講演
経済政策と外交政策がそれぞれの政党の対立軸です。外交政策ではスペイン、イタリア、そして豪州とアメリカのイラク政策に批判的な政権に交代しました。経済政策も小泉路線を継承するのかもしくは格差是正策に大きく舵を切るのか。格差是正の最大の目標は所得の向上と雇用の安定です。国際競争力の向上を目指す小泉路線とは異質なものです。一部の企業の競争力をつけるため、国民の家計を抑制することは本末転倒です。エネルギーと食料は国家の基本です。だからこそ独自の中近東政策が必要なのです。熱心に100人以上の方が聞いてくれました。
2007/11/27 本質論議を忘れるな
額賀大臣が宴席に同席したかどうかがそれほど重要なのか。そこに時間をとられるより、防衛省の随意契約やグアム米軍移転費用で多額の税金が不公正に使われようとしたことの解明こそ大切では。

2007/11/24 石油の値段が上がってます
ガソリン、灯油の値上がりが顕著です。家計に直結しています。とくに北海道では。石油の価格不安定はブッシュの中近東政策が誤った証拠です。アメリカの中近東政策を追認した日本政府の誤りでもあります。インド洋での海上給油の見直しのときです。石油の値上がりを止めるのが政治です。来年度予算の石油関係税制の見直しが必要です。
2007/11/21 辻たち
寒い日が続きます、後援者への挨拶を続けています。町内会ごとの辻たち街頭演説をおこなっています。沢山の人から激励されます。ありがとうございます。
2007/11/13 ねじれ国会
ねじれ国会とは誰が命名したのだろうか?本当に不自然なのか?むしろ本来の姿に戻ったのではないか?国会は二院で構成されているということは、それぞれの院でそれぞれの意思表示がなされるということのほうがが普通なのだ。両院が同じ結論を出さねばならないというほうが不自然なのだ。国会で議論される法案の80%ぐらいは、与野党賛成の法案であり、対決法案といわれるものは数少ないのです。対決される法案はじっくり審議をするような仕組みなのです。その証拠に二院で構成されている国家で、それぞれ多数派が別々の政党という例は多いと聞く。まさしく参議院が衆議院のコピーではないことが政治の進化なのだ。
2007/11/11 お国帰り
衆議院議員がお国帰りを始めだした。年1度ぐらいしか選挙区に戻れない官房長官がお国帰りをすると、総選挙近しというのは永田町の常識。その方が「選挙をやってる暇がない」とおっしゃるのは説得力に欠けます。もっともこの解散権は、参議院民主党が握っているのですから、言いようがないのかもしれませんが。これも下手な策を弄して、小沢民主党を強硬路線に追いやったのは自民党です。
2007/11/08 大雨だったが土台は固まりました
4日から6日まで民主党は大揺れに揺れました。私も東京へ、急遽仲間のみんなと善後策を話し合いました。「自民党の策略に乗ってはいけない」、「大物ジャーナリストを持ちだしてまで仕掛けてきた、政治家が新聞社に弱いのを当て込んで」、「自民党は王手飛車取りを掛けてきた、大連立に乗ればめっけもの、乗らなくても情報戦で小沢さんを傷つければよし」、  
結局、自民党の本音は、選挙上手な小沢さんに率いられる民主党と戦いたくないということです。なら私たちがやることははっきりしています。地は固まりました、自民党の思惑には乗りません。
2007/11/03 大連立
福田総理からの大連立の申し出、断ってよかった。2大政党の連立は体制翼賛になる。福田総理はなにを怖がっている。衆議院と参議院で異なった意思表示がされることとされているが、郵政解散では衆参の意思が違うといって衆議院を解散したのです。そうすればよいだけです。
2007/11/01 町内会辻説法
町内会ごとに辻説法をしています。政治の原点は辻説法にあると思うので。雨の中辻つじで10箇所やりました。いろんな人から声をかけられました。リポヴィタンの差し入れももらいました。
2007/10/30 1000点50円のマージャン
「はこ点1500円、学生の遊びマージャン以下です。このレートでは、勝った人が他の人に焼肉をご馳走できるはずがない、守屋さんは役マン何度上がったのか」私のところにアルバイトできているマージャン好きの学生の言です。これだけで彼の証言がうそっぽいのは学生にも見抜かれています。
 20万ガロンの取り違えはありえない。大臣答弁の作成責任者は、当時の守屋防衛局長です。アラビア海に航行不可能の根拠が20万ガロンにあるのだから、この数字はきわめて重要な意味ある数字のはず。給油量を確認しないはずがない。もし確認していないのであれば重大な職務怠慢です。彼がなぜ通例1年の次官ポストに4年以上居座り続けられたのか、ここにすべての鍵がある。
2007/10/29 倫理規定は誰が作った
自衛官倫理規定は守屋前次官が官房長時代に成立したもの。倫理規定の所管局は官房長のはず。自ら作った規定を自ら破ったわけだから、組織内で守られているわけがない。組織規定が遵守されない軍隊は信頼たりえない。よもや大臣までも接待漬けとは。防衛省昇格は過った。早すぎた。
2007/10/27  日本にも産軍複合体が生まれるのか
4兆円を超える防衛予算に随意契約で数百億の商売をしている商社、あまたのOBがそこに天下りし、事務次官まで接待付け、大臣にうその答弁を国会でさせ航海日誌を破棄する防衛省、どうやら社会保険庁並みです。アメリカ並みの産軍複合体が現出する前に解体的出直しが必要です。
007/10/21 前防衛省次官の不祥事は重たい
事務次官は官僚のトップである。大臣が実質1年か2年で辞めるのに対し、官僚は不祥事でもない限り辞職することはない。しかも選挙の洗礼を受けることもない。だからこそ政治に中立でありかつ李下に冠をの姿勢がなければならない。大きな権限がありかつ最終責任を取らなくてすむ事務次官は2年が限度なのである。守屋次官を5年も在職させた人事こそ問題があった。官僚人事の責任者は官房長官、当時の官房長官は誰なのか?
2007/10/14 総選挙近い
近くで買い物していたり、同窓会で友人と話をしたりの際、あまり政治に関して話すことがない人からも「忙しくなりますね」、「選挙近いですね」とよく話しかけられるようになった。どうやら国民が一番政治の流れを肌感覚で理解しているようだ。
2007/10/12 80万ガロンと20万ガロン
予算委員会を聞いていて、政府は民間会社のコンプライアンス遵守を指摘する資格を失ったと感じた。自ら法律遵守を損なっている。テロ特措法の最初の議論からイラク戦争への給油活動が懸念されていた。それを福田当事の官房長官が「20万ガロンしか給油しないのでその恐れはない」と答弁していたのだ。つまり20万ガロン以上の給油活動ならば、イラク作戦への給油活動の恐れがあるという意味だ。論理学の初歩。80万ガロンの給油活動は、イラク作戦の給油活動を行っていたということを自ら明らかにしたも同然。
2007/10/07 清田区の民主党の集いです
8回目を迎えた清田区民主党の集いです。ジンギスカンを囲みながら和気藹々と政治のことを語りました。明日からの予算委員会、福田総理準備不足と言ってられません。どんなものが飛び出すか目を離せません
2007/10/06 恒例の秋の収穫祭
秋の収穫祭、枝の会の方々が事務所前でフリーマーケットと野菜の即売会です。10時開始なのですが9時半から行列が出来て、あっという間にめぼしいものはなくなりました。ご近所の皆さんの楽しみになっているようです。
2007/10/01 国会再開
やっと国会が再開された。福田総理の所信、新味に欠ける。ビルマ情勢でもしっかりしゃべると良かったのに。

2007/09/25 不思議な変な人事
幹事長の権限は組織の人事と資金を握ることから生まれる。其の最大のものは選挙。候補者の公認権と選挙資金の配分権。それを別な役職を作って、そこの直属にしてしまうのは、幹事長職権限が実質移ったことを意味する。この政党は、もはや組織原則をもまっとうできないほど衰亡した。実質与謝野官房長官を更迭した内閣。この安倍さんに指名された人々が福田さんのために一心になるのか。安倍前総理の国政の投げ出しを止められなかった派閥の長が、今度は体を張って出来るのか。臨時国会の論戦に期待する。
2007/09/21 北海道農業NHK番組
NHKで北海道農業の2時間番組が放映された。北海道農業のあらゆる側面から意見が述べられていた。其の中で誰も指摘していなかったが気になる点。
なぜ北海道と本州の政策が違うのか。不公平ではないか。本州だと4ヘクタール以上が北海道は10ヘクタール以上でなければ農家と認めないという品目横断対策。市場主義は公平な競争条件があってはじめて成り立つ制度。それが頭から破られている。しかも農業団体や政治が指摘した話は聞かない。不思議だ。蛇足ながら識者として農業政策研究者に北大ではなく東大教授が出席していること、北大の研究者はどうしたのか?札幌農学校ではなかったのか。
2007/09/19 政策の違いは?
福田、麻生の違いは何でしょうか。さっぱり分かりません。さらに安倍さんとの違いは?よくわからない。なぜ今総理を変えなきゃいけないのか。自民党に政権担当能力がないことが明らかになりました。明確な政策変更を説明できないのであれば、憲政の常道です。政権を野党に譲るべきです。民意は明らかにされたのです。年内の解散総選挙です。延ばせばそれだけ国民生活に影響します。
2007/09/15 麻生、福田の戦い
この国をどういう方向に進めるのか、安倍政権の総括などの議論がまったくされないうちに、突然福田だやれ麻生だと自民党のうろたえ方は激しい。改革だと叫ぶ人さえ福田を支持するそう。小泉改革の後継者が安倍、その安倍と一心同体で改革を進めたのが麻生、改革政策に異論を唱えて小泉政権を離脱したのが福田。政権担当能力がないことを示した安倍さん。自民党という政党自体が劣化したことを示している。この内閣誰が選ばれても問責決議一本で解散せぜるをえない選挙管理内閣。余り大騒ぎをする必要ない。
2007/09/12 突然の安倍総理辞職
所信表明を行って、それに対する代表質問を行う数時間前に突然の辞職。国際公約が果たせないから、野党の代表と会談できないからが理由だとか。前者は国会論戦しなければ結論が出ない、後者はタイミングの話、いずれも理由にはなっていません。それより「総理周辺で金と政治の話が出てきそうだ」という不確かな話だが、それが引き金になった可能性のほうが高いのではないか。細川政権が突然投げ出したのとよく似ている。
2007/09/09 問責決議は重たい
参議院では内閣への不信任を問責決議という。衆議院と違って法的な根拠がないので辞職する必要はないとされる。しかし辞職しなければ事実上参議院は開かれないことになる。国会の最高権力者は議長です。開会のベルを押す権限を有しているただ一人の人です。その人が「議会で不適格と採決された人」の答弁を認めることが出来ない。したがって問責決議が可決されている大臣が出席した本会議には、江田議長は開会のベルを押すことはないからです。安倍総理への問責決議がなされれば、事実上安倍総理は総辞職か解散するしかないのです。
2007/09/07 選挙公約は?
選挙公約は重たいものです。特に政権選択を行うときには。だからこそ首長選挙は特に政策の対決軸を敢えて示して選挙に臨むのです。選挙が終われば自らの公約を翻すようでは選挙民に対する背信行為です。北海道知事選で支庁のあり方は最大の争点でした。それを覆すなら説明責任は重たいものがあります。テロ特措法の延長を国際公約にした安倍総理の責任も重たいですが。進退をかけるということですね。
2007/09/04 身体検査?
遠藤農水大臣が辞職した。自らがトップを勤めていた組合の不正請求の責任を取らされた。官邸は身体検査の不備だったと。しかし政党政治は多数を占める与党議員で内閣を形成することが決められている。能力識見に優れた方が選任されるのだ。しかるに選任の最大の要因は身体検査をパスすることにあり。これではほとんどの自民党議員が何らかの「政治と金」のスキャンダルを抱えていますと宣言してるに等しい。赤城元、遠藤前大臣も自民党内では良識派に属する政治家だったと思う。それがこの様子では自民党全体がおかしくなっている。一度政権交代して出直すほうが良い。
2007/08/29 国のかたち研究会小樽研修会
菅民主党代表代行や江田参議員議長をメンバーとする国の形研究会が小樽合宿を行いました。長らく私が事務局長を務めていたので私がアレンジをしたのですが、皆さん充実した研修を終えました。特に私が皆さんに見てもらいたかったのは小樽港です。小樽港湾は日本の近代的港湾の始まりです。この設計者は広井勇という土木工学の創設者です。
100年後200年後の経年劣化を観察するため埠頭(海の下にあります)建設に使用したコンクリートピースを保存しているのです。広井勇はクラークの弟子です。クラークは1年足らずしか北大で教鞭をとっていないのですが、彼の教育方針は哲学、宗教、倫理学を重視したことです。其の中から教育の内村鑑三、国際協力の新渡戸稲造などあまたの人材が輩出したのです。広井勇も其の一人です。
2007/08/23 お友達コンプライアンス委員会では駄目
北海道経済の再生の鍵は食品加工産業である。北海道はそれを理解していたから道立の食品加工研究所を20年前に設立した。逆に食品加工産業の信頼を失うことは、北海道の危機なのです。石屋製菓の信頼回復は一企業の問題ではないのです。だからこそ情報の開示、コンプライアンス委員会の活動振りが「そこまでやらなくても」と思わせるほどの厳しさが求められている。委員会のメンバーが友人知人では其の厳しさをなしえないでしょう、いや厳しい勧告をしたとしても消費者にそう受け止められない。お友達内閣の安倍内閣はお友達ゆえのもろさを出してしまった。その結果国益を損なった。石屋製菓のコンプライアンス委員会がそうなってはいけない。北海道庁や札幌市の行政手腕が問われていることでもある。
2007/08/18 人事は組織の要
組織が動くか動かないかは人事による。人はそれぞれ異なる能力を持っている。それを見抜き適所で能力を発揮してもらう。それが大臣や組織のトップに不可欠な能力だ。どうやら小池大臣も守屋次官も組織を危うくしてしまった。さらに輪をかけたのは官邸の人事能力だ。痛みわけの人事は、あたら能力ある人を葬ったに等しい。かっての外務省のようなことにならなければ良いが。
2007/08/14 日米は対等ではない?
シーファーアメリカ大使が小沢代表を訪ねたことをさして「小沢さんの非礼である」として、石原自民党幹事長代理の上記の発言です。理由は日本国内にアメリカの基地があるからとか。国と国とは本来対等です。基地があるのは条約に基づいて両国が協定したからです。
国ごとに上下関係があるとの前提の外交感覚で政治をしてもらっては困ります。NATO諸国はアメリカの下でしょうか。国ごとに上下関係をつけては国連外交はできません、アジア外交はできません。いったい日中のどちらが上なのですか?日韓では。そもそも日本はアメリカに次ぐGDP大国です。その指導者がこんな発言をしてはいけません。自民党執行部はどうなっているのか。
2007/08/11 ある日の新聞一面記事
北海道新聞の一面記事、「夕張再建計画の見直し」(あの非人道的な再建計画は非現実的と指摘したのは昨年12月です)、「世界同時株安」(アメリカの金融不安が引き金か)、「食料自給率40%を切る」(60%の不安のある生産地の分からない食品を食べなければならない、もし食料品の輸入が止まれば6割の人が飢餓状態になる)、そして最後に小さく「安倍政権支持率低下」(もはやべた記事の類)  すべて政治がかかわっている難事です。求心力の欠けた指導者では無理でしょう。
2007/08/09 横綱は強いものの象徴
朝青龍の振る舞いが相撲社会を揺るがしているよう。バッシングも強くなっているようだ。でも朝青龍よ、強いものはいつでもたたかれてさらに強くなるのです。このバッシングを跳ね除けてこそ真の横綱です。頑張れ横綱。
2007/08/08 14年前細川政権樹立時
江田五月参議員が議長、西岡さんが議運の委員長、まるで14年前の土井さんが衆議院議長、奥田さんが議運の委員長を髣髴させます。国対政治よりオープンな議運政治をを強く主張したのは小沢さんでした。国会が面白くなります。目を離せません。私も衆議院選挙の準備をしなければ、仲間に申し訳ありません。
2007/07/31 国政選挙の意味を理解していない?
選挙とは「民意を問うこと」です。民意は示されました。議会制民主主義では主権者の意思が選挙によって「ノー」と示されれば辞職するのが常道、常識です。続投するのが責任の取り方だとしたら、国際社会の物笑いになる。倫理観と良識に問題ありと指摘しましたが、その上、常識も欠けている。

2007/07/30 民主党への大きなご支援ありがとうございます
参議院での与野党が逆転しました。民主党への大きなご支援を頂きました。責任の重さを痛感するとともに、謙虚さを忘れることがないよう心します。
2007/07/28 選挙戦が終わりました
今度の選挙は長く続いた自民公明政権の倫理と良識を問う選挙戦でした。国民に真実を知らせる、責任を明らかにする、その上で国民に結束してもらう。それが政治です。5000万件の消えた年金が明らかになると、国民の不安をあおることになるとの発想は愚民政策です。柏崎の原発事故隠しと同じ発想です。真実を隠せおおせないと分かったら今度は、責任の転嫁です。当時の菅厚生大臣が悪い、労働組合が悪いと。ミーとホープの社長は偽装を工場長のせいにしました。だからかの会社は倒産したのです。さらに批判を浴びると、5000万件の年金問題を1年以内に処理しますと説明。いかにも場当たりでうろたえている、そんなことができ得ないことは、誰の目ににも明らかなのにです。そしてもっと大事なことは、政府内のチェック機関が機能していなかったことが明らかになったことです。官製談合を見抜けなかった会計検査院、年金業務のずさんさを是正できなかった行政管理庁。政権の交代がなかったことが政権のおごりを招き、政府の緊張感の緩みを招いたのです。国民の審判は明日明らかになります。
2007/07/18 情報開示こそ信頼の源
柏崎原子力発電所が活断層の上に建設されていたのを東京電力は隠していた。おそらく住民の不安をあおるからとの理由だろう。安倍総理が5000万件もの宙に浮いた年金問題を隠したのも同じ理由だ。しかし国民は隠されていることこそ不安なのだ。「情報を開示することが国民を不安に陥れる」と考えることこそ、国民を信頼していないことの現われだ。信頼をしていない国民に対して「信任してくれ」と願うこと自体ばかげている。参議院選挙でその結果が現れる。
2007/07/11 参議院選挙です
いよいよ参議院選挙です。年金問題のみが争点ではありません。民主主義にとって大切なことが問われている選挙です。
自衛隊が市民運動の調査をしたことは、シビリアンコントロールの原則が破られたことです。委員会で専門的な議論をするのが議会制民主主義の原則です。委員会を中途で打ち切って本会議で採決することは、この原則違反です。朝鮮総連関連だからといって、官邸から督促されて捜査が行われるこれは、三権分立の原則が破られたのです。公務員や労働組合を批判して選挙を戦うのは、いつしか与党の常道手段になりました。しかし公務員は総理の部下です。社員を批判する社長に未来はありません。労組は国際的に認められた団体です。それを批判すれば国際的に笑われます。それでなくてもILOの勧告を守れていないのですから。日本はどんどん国家主義的な途を歩き出そうとしている。国家主義的な安倍政権でいいのか、それが問われている選挙です。
2007/07/03 防衛大臣辞任
原爆是認発言で初代防衛大臣辞任することとなった。当然でしょう。この内閣原爆発言では常軌を逸していた。麻生外務大臣や中川政調会長が原爆を保有することを検討ととんでもないことを言ったのは去年の10月。そのとき以来、安倍総理をはじめ原爆問題には国民感情とかけ離れているなと感じていた。ついつい閣内の雰囲気が出てしまったのだろう。とんでもない内閣だ。
2007/06/30 国会の実質終了
強行採決、審議と国会が機能せずに実質審議を終えた。今国会は歴史に禍根を残すことになろう。国会は審議をするところである。しかも委員会制をとっているので、委員会審議途中で、委員長が野党だからと本会議にかける暴挙を許していては、議会制民主主義を自ら葬ることになる。これがまかり通るなら委員会はいらなくなる。さらに国会審議で余り問題にならなかったが、自衛隊の制服組が自衛隊派遣反対運動の調査をしていたことである。シヴィリアンコントロールの原則が犯されたのだ。社会保険庁のずさんさは正さなければならない。しかし行政のチェックは会計検査院、総務省の行政管理局と立派な組織がある。なぜこれらの組織が機能しなかったのかの方が問題だ。場当たりの対応だけの国会にしてはいけなっかた。
2007/06/23 民主党政策アピールミュジカル
民主党の政策をアピールするためミュージカルを作成した。脚本家は劇団四季で活躍している湯川裕光、実は湯川氏は埼玉県選出の前衆議院議員松崎哲久氏なのです。劇団四季の「ライオンキング」真場役の友石竜也などミュージカル舞台で活躍している一流のプロの俳優が、美しい音楽に乗せて民主党の政策をアピールします。約20分の舞台ですが俳優さんが直接支払いやらBSEなど論じるのは見所です。8トン車のステージカーで全国をキャラバンします。
明治初期、帝国議会開設の機運を盛り上げたのは川上音二郎です。音楽に乗せて明治政府に議会開設を訴えたのです。平成の世に民主党政策をアピールし政権交代を訴えて行くこの奇抜な発案者は菅代表代行、事務局長は私、荒井が担うことになりました。短い準備期間でしたが是非関心をお寄せください。
詳細はホームページ http://minshu-caravan.seesaa.net/
民主党ホームページ http://www.dpj.or.jp/news/dpjnews.cgi?indication=dp&num=10227
2007/06/22 会期延長
通常国会の会期は150日と決まっている。会期内で審議すべき法案を提案するのが政府の役目。特に参議院選挙時の会期延長はタブーとされている。選挙事務は地方自治体が行う。投票日の変更は地方自治の過重な業務となるからだ。おそらく数百億の負担増となろう。結局国民の税金がそれだけ余分にかかってしまうということだ。会期延長が年金問題のほとぼりを冷ますため、また投票日が夏休みにかかり投票率を落ちることを狙っているとしたら、とんでもないことである。
2007/06/14 業界の責任
訪問介護の業界第1位のコムスン、英会話の第1位のNOVA、いずれも急速に会社を拡大しすぎたのでは。会社の社会的責務を忘れ儲け主義に走ったのだろう。小泉主義がもたらした市場主義の弊害がここにも出てきた。
2007/06/09 北海道3区総支部長に復帰
次期衆議員候補として活動を復活することになりました。すでに党本部の常任幹事会で内定をしていましたが、本日の3区民主党党大会で正式に決定をいたしました。会期末は年金問題で与党政府は大混乱です。国会は延長含みとなり、衆参同日選挙も現実化しつつあります。ところで今日はヨサコイソーランの祭りの日です。私にはゆかりの日でもあります。
2007/05/30 年金 の怪
5000万件もの宙に浮いた年金掛け金、その総額はいくらなのか。なぜ5000万件のそう掛け金を公表しないのか。ほおかぶりして5000万件分の掛け金を横流しするつもりだったのか。とにかく年金の管理のずさんさをあらわにしている。これが生命保険会社なら早速、金融庁が調査に入り業務停止処分を受けるところ。すべては年金の一元化ができていないことによる。
2007/05/29 松岡農林大臣の死
松岡氏は農林水産省時代からの友人。省内での勉強会を主催した仲間でもある。ともに政界を志した。彼とのさまざまな思い出がよみがえる。こんな形で世を去るとは考えもしなかった。政治はむごいものだ、苛烈なものだ。しかし本来暖かく、寄り添って行くもののはずだ。彼の性根はそうだった。安らかに眠ってくれ。
2007/05/03
本当に多くの方のご支援を頂きました。残念ながら現職2期目の女性知事は強いとのジンクスを破ることはできませんでした。しかし私が提起した破綻する地方財政問題、崩壊しかけている地方医療、そしてオーストラリアとのEPA交渉などは来る参議院選挙の争点となりました。憲法記念日にあたって最近の改憲論が解釈改憲の動きを強めていることに危惧の念を持ちます。
2007/03/21 出陣大集会を開催しました
菅さんが東京から応援に。「荒井は国政で経験があるんだ。もっと国政の話をしたらいい。政府よりの現北海道知事に物申すべきだ。」
そこで私は「小泉、安倍政権は格差社会を作り、最も痛手をこうむったのは北海道だ。この間北海道は政府に追随しただけで、格差ができるのを手をこまねいていたのだ」と訴えました。放っておかれた北海道。切り捨てられようとしている北海道。このままではだめだ。「ほっとけないしょ、北海道。」
2007/03/20 相棒「どさんこ号」
北空知から旭川へ向かう。これで160町村を回ったことになる。残念ながら全道すべてを回りきることはできなかった。1日1200キロ走り回ったこともある。わが「どさんこ号」はサイドに交通ルールを守りましょうのステッカーを張って延べ17000キロ走破しました。本当にがんばってくれました。明日は車のチェックをするそうです。いよいよ22日からの本番遊説が始まります。団塊の世代は元気です。世のため人のため働きます。
2007/03/17 格差社会を招いた責任者に物申す
昨日ホリエモンの実刑判決が下った。格差社会を創った張本人はもちろん小泉・竹中路線だが、それをヨイショした武部元幹事長の罪は大きい。一国の第2の権力者がホリエモンを賞賛し、「私の弟です」と持ち上げ、世の中上げて拝金主義に走らせた。格差社会を生み出した責任者である。責任ある見解をご本人から聞いたことがない。地域間格差に泣き、雇用状況の格差に泣いている国民、なかでもその状況が顕著な北海道に対してどのようなご意見をお持ちかじっくり論議をしてみたい。
2007/03/16 辞表提出
昨日河野議長に辞表を提出。これで国会議員の職務を終えることとなる。14年間の国会活動の収束であるから感慨深いものがある。しかし今の北海道は一刻の猶予もならない。
夕刻、「全国からも荒井さとし君を応援する会」が東京プリンスホテルで開催。名だたる方々がボランティアで来て頂いた。浅野史郎東京都知事候補予定者も来てくれました。かつての盟友です。お互いに頑張ろう。東京都と北海道でのろしを上げることができれば地方自治、それ以上に日本が変わる。
2007/03/15 月形学園を視察しました
ある警察関係の友人から「軽犯罪や少年犯罪にしっかり対応できれば、凶悪犯罪の発生を防げる。少年の更正施設を見たら」と薦められ、月形学園を視察させてもらいました。そこで無垢な瞳に出会いました。褒められたことのない少年、親とちゃんと向き合うことのなかった子供・・・。指導官の熱意もあって更正していく。それより社会が、学校が受け入れてくれるかどうか、そして更正した少年に対する差別をどうなくしていくのか。理解のある雇用主を探せるかにかかっている。池袋の古い友人は少年院出の子供たちを雇用し、自信の出てきた子を他店の中華料理店に紹介していた。彼の話も一度聞きたいものだ。
2007/03/13 北海道の将来を想う〜荒井さとしのマニフェスト発表〜
イメージ戦略が必要といわれ続けていたので、政策発表では思い切って「皆さん目をつぶってイメージしてください」と直接訴えることにしました。記者会見でもこの手法をとりましたので、型破りのマニフェスト発表となってしまったようです。フォーラムでもこの手法を試したのですが皆さん目をつぶってイメージしてくれたようです。中には涙を流して聞いてくれた人もいました。
2007/03/10 北海道における緊急課題とは
朝日、毎日、読売、日経新聞社による討論会、旭川への集会、とんぼ返りで青年会議所とリンカーンフォーラム主催の討論会と、頭が熱くなりましたが、持論の展開ができました。4年間問題の先送りで格差は開くばかりの北海道、直接市民生活を左右する市町村は夕張と似たり寄ったりです。放って置けません。緊急に市町村財政の建て直しと地域経済の建て直しが必要です。そして最も緊急性が高いのは医療サービスの建て直しです。悠長に構える時間はありません。高橋知事から北海道の花の美しさを聞かされて、余裕のある方だとうらやましく思いました。
2007/03/09 坂本龍馬に思うこと
黒松内(道南)から札幌を通過し、北見へ向かいました。北見市は坂本龍馬のおいが開拓に入った地。龍馬は倒幕のだいぶ前から、倒幕後の武士の働く場として北方の開拓と防衛のための屯田兵制を構想し、北海道の調査をしていました。その結果が北見開拓です。いま北海道の最大の課題は雇用問題で、龍馬は雇用拡大策の先覚者です。龍馬に負けない雇用政策を工夫しなければ。北見で思いを新たにしました。
2007/03/08 後志→旭川→後志
後志ニセコ町などの訪問から一転、旭川の道議候補の集会に馳せ参じました。会場では旧知のA元道議に出会い、懐かしさと昔の苦労の思い出が一気によみがえってきました。
そして、会場では久しぶりに妻にも会いました。団欒の時間は短かったですがパワーを得て、またすぐに400キロ離れた後志黒松内に戻りました。きっと遊説局は夫婦の久しぶりの邂逅を無理してつくってくれたのでしょう。遊説局に感謝します。
2007/03/06 東京にて北海道出身の経済人の集い
東京在住の北海道出身の経済人の会で激励を受けました。それぞれ大実力者たち。心強い激励でした。Nさんはがんを治療中ですが、病院を抜け出しての激励、感謝です。最後は「フレーフレーさとし」と応援コールです。きっとJさんは初めてではないかと思いました。
2007/03/05 士別にてアニマルセラピー
士別市で羊の5つ子を見てきました。普通は2頭出産とのことですが、5つ子は滅多にないそうです。子羊は元気になついてきました。動物好きの私には、ほっとするひと時でした。
2007/03/03 ふと思い出した言葉
街頭演説をしました。久しぶりの札幌街頭です。多くの人が手を振ってくれました。若い女性の4人組熱烈に手を振ってくれました。
そして、夕方の地域フォーラムは楽しかった。「千の風に乗って」はすばらしい。思わず涙しました。新田次郎のアラスカ物語で主人公のつぶやき「リーダーは強くなければならない。しかしそれ以上にやさしくなければならない」 ふっと思い出しました。
2007/03/02 根室から釧路へ
根室は思い出の地です。北方4島へのビザなし交流は、地方自治体として初めて外務省職員とともに外交を行った画期的なことでした。サハリンでロシアの国境警備隊に取り囲まれ、また、コサックの右翼勢力にデモされながら、とりまとめた若かりしころの仕事を思い出します。覚書に署名をした後、サハリンの担当官(とても美しい方です)が大事そうに一個のりんごをプレゼントしてくれました。日本ではとても売れそうにないしなびたりんごでしたが、ロシアでは貴重な品です。とてもうれしい気持ちになりました。
2007/03/01 釧路、根室管内を駆けました。
昨日は釧路管内を回って中標津で国政報告会、約500人ほどの人が人が駆けつけてくれました。かって中標津空港の建設など思い出の地です。
羅臼に泊まりました。旅情があります。根室にて演説会、医者不足は深刻です。やっと政府も道庁も重い腰を上げようとしています。
政治の力が不足しています。主張することが政治の第一歩です。
2007/02/26 「どさんこ」について
ある大物自民党議員が「どさんこ」に大変な関心を持って発言をしたとか。
でも「どさんこ」とは開拓者の重たい荷物を背負って愚直に歩み、開拓地で道民とともに骨を埋めた足の短い馬のことです。私はそんな「どさんこ」が大好きです。そんな「どさんこ」になりたいと思ったのです。
2007/02/25 福祉フォーラムに浅野さんが来てくれました
北海道庁で共に仕事をした仲、そして宮城知事選挙に出馬の背中を押した仲でもあります。
13年前、浅野さんが私を訪ねて、
「荒井、俺宮城県知事選挙に出ようか迷ってるんだ」
「やめとけ、お前黙っても局長になるじゃないか。そんな冒険するな」
「そうかな」
「ところでお母さん何といってる」(母親は息子に冒険させないものです)
「それが、母がやれというんだ」
「(あんぐり、しばし沈黙、)それならやれよ」
ふたりで町の中を旗もって走り回る選挙戦でした。
「ところで友情はありがたい。さらに言えば東京知事選に出馬しろよ」
返事は内緒です。
2007/02/23 網走から札幌へ戻ってきました
網走管内は畑作で麦、馬鈴薯、ビートの地帯で、豪州とのFTA交渉の対象作物の多いところ。農業の危機感はものすごく高い。北海道をあげて阻止に動かなければ、この地域の農業は全滅してしまう。選挙前に決着をつけなければ危ない。自民党のお家芸、選挙後の後送り作戦に惑わされてはいけない。
2007/02/22 民主党を離党し無所属に
内閣総理大臣は政党の代表が国会で選ばれます。
北海道知事は直接道民が選びます。選ばれれば北海道民の代表となります。ここが国の政党政治と大きく違うところです。すでに私は民主党を離党することを決断し、鳩山幹事長にその旨を提出しました。
「民主党を政権政党に」との思いで政治活動を行ってきた私にとって、感慨深いものがあります。
2007/02/21 広い北海道を、あらためて実感。
紋別での国政報告会は盛況です。昔ガリンコ号を導入したときの苦労話を披露しました。当時の竹内北海道運輸局次長にお世話になりました。もっともそれから3度紋別に来たのですが流氷を見れません。昨日までいたとのことですが残念。
それにしても北海道は広い。ここ網走管内だけでも新潟県の広さがあるとか。先週は函館管内はすでに春の様子、ここ網走では厳冬に逆戻りです。
2007/02/20 政策提言を頂く。
徳永元監査委員、林元滝川市長、麻田前副知事、川村前町村会専務理事、西川前企業管理者からなる市町村政策会議から提言を受けました。いずれも道政に明るい方、貴重な提言で条例化を努力したいとお答えしました。私のほうからも重要な申し出を行いました。
2007/02/19 胆振管内を駆け巡る。
洞爺湖、室蘭、そして苫小牧、北海道で数少ない好景気のところ。港と飛行場、人と物との往来のあるところに期待が集る。中国、東アジアをにらんだ企業戦略がこの地を選んだ。行政はもっとしたたかに国際戦略を組んでいれば他の地にも可能性が開ける。
2007/02/17 道南へ遊説
道南は燃えています。金田さん鉢呂さんが開拓した民主党の地盤は強固でした。朝市で食事をして市場回り。その後函館市内や郡部で街頭演説、多くの人に聞いてもらいました。たくさんの元気をいただきました。
2007/02/15 農民連盟総会(札幌)終了後、飛行機で函館へ。
農民連盟の総会で挨拶、農業の多面的効果の算定、所得保障提案したこと、民主党の農業政策を主導したことなどを話をさせてもらいました。農業の話になるとつい力が入ります。
その後函館へとんぼ返り、励ます会がありました。800人以上の方が激励してくれました。
2007/02/11 定山渓を訪問挨拶
100万都市の中に温泉街があるのは札幌ぐらいだろう。定山渓温泉をもっと活用すべきだ。自然と一体的な温泉、新しい試みができそうだ。
その後若者と対談。いつの時代も若者を鍛えるのは時代だ。次の時代がどんな人材を必要としているかを感じるのは若者自身でなければならない。楽しくいつも期待感を抱かせるひと時だった。
2007/02/08 稚内へ遊説
大雪で飛行機が飛ばず、列車で5時間あまりかけて稚内へ。「希望の宗谷を拓く会」総決起集会に参加しました。ここでも多数ご参加いただき、強い熱気を感じました。また、YOSAKOIの方ともお会いして歓談しました。YOSAKOIは北海道のすみずみまで浸透していることを実感。今日は稚内市と宗谷支庁を駆けます。
2007/02/07 上川管内を遊説
3日にわたり旭川、上川郡部をあいさつ、旭川では久しぶりの街頭演説、愛知県の知事選挙の健闘のせいか、関心は高い。街行く人から激励を受けた。
留萌市での新党大地の新年会出席、いつもながらたくさんの人に激励された。その熱気はすごい。鈴木宗男さんの人気もこれまたすごい。会場で小平町のS元町長にお会いできた。耕地計画課長時代に広域農道の計画つくりでともに駆け巡った仲。楽しいひと時。
2007/01/31 亀井静香さん
亀井さんは大学の運動部の先輩、所属する政党は違っていたが、6時過ぎになると先輩、後輩の関係に。特に合気道部の規律は厳しい。「札幌で俺の後援会の集いがある。出ないか」「何時からですか」「6時からだ」「それって出て来いという意味ですね」亀井さんの暖かい推薦を頂きました。
2007/01/30 予算委員会の準備で東京へ
格差問題を議論するため資料の収集、予算委員会のバッターで役割分担について話し合う。
菅、馬渕、山の井、そして私で安倍総理と論戦することになったが、柳沢厚生大臣の機械発言で予算委員会は時間未定となった。
2007/01/24 余市から岩内
母の故郷が小樽だったこともありよく遊びに行ったところ。余市駅前は、13年前最初の選挙で街頭演説をした思い出の場所でもありました。岩内では昔道庁で机を並べていた仲間が偉くなっていました。でもいずこも、財政難で苦しんでいました。夕張だけではありません。大変なのは。
2007/01/20 再び夕張へ、そして空知
北海道庁が夕張市へ360億円の融資を発表。今までの冷たい姿勢から一転した。選挙戦を意識したものか。何より夕張市民には朗報だ。もっと早くにこの姿勢を打ち出していれば、市民の転出を防げていたかも。政治はタイミングです。それにしても、道庁の直接融資方式は、法的に可能なのかな。不良債権化しかねない全額融資より、単年度ごとの利子補給策の方が現実的だと思うが。道議会での議論に期待したい。
2007/01/18 釧路から久しぶりの寝台夜行
寝台列車に乗って札幌へ、朝食会を経て東京へ。霞ヶ関の仲間の激励会2件。本日は朝食勉強会と昼食報告会。そして札幌での会合3件。そろそろ忙しくなりました。
2007/01/14 自立の精神あふれる帯広
帯広の新党大地の新年会に参加、その熱気に圧倒されました。心強い応援団です。銀河線のDMV方式による存続、バンエイ競馬の振興などを述べてきました。地域交通の再建と地域文化の振興は北海道再建のキーです。特にバンエイ競馬復活はソフトバンクの島聡さんが骨折ってくれたもの。大切に育てたいものです。明日は釧路です。
2007/01/13 理髪店へ
理髪店に行く時間もなくなりました。近くのなじみの理髪店に無理を言って、早朝に開けてもらいました。今日の集会では司会者から「最近の荒井さんイメージが良くなった」とお褒めの言葉。いえ今朝、床屋さんに行ってきたのですと言いそびれました。
2007/01/11 事務所開き、そして挨拶周り
9日に事務所開きを行いました。200人ほどの後援会を中心に支援者が駆けつけてくれました。「地方自治の根源は情報開示にあり、トップクラスだった情報開示度が激減している。改革派の知事の引退が相次いでいる。改革の炎は私が引き継ぐ」と挨拶しました。有る若い道議候補が「感動しました」とエールを送ってくれました。昨日は千歳、恵庭、石狩、今日は江別、北広島のそれぞれの市を訪問、挨拶を重ねています。ご案内いただく方の個性が出ていて楽しみです。明日は士別まで往復10時間の移動です。北海道は本当にでかい。
2007/01/06 新年会続き
例年の札幌市各区の町内会新年会であいさつ回りです。さすがに時間の関係からビールのお酌はできません。名刺を手渡して挨拶です。「これから大変ですね、健康に留意してください」と声をかけてくれる方が大変多いです。3区の皆さんは、私を国政の議員として育ててくれました。転出することに、複雑な思いを持つ方々が多数おられます。丁寧な挨拶をさせていただいています。
2007/01/02 神社参り
例年のとうり豊平神社など地域の神社の初参りです。天気がいいせいかたくさんの人が出ていました。久しぶりに北海道神宮にも参拝。神社関係者と懇談しました。ここには本神宮のほかに、開拓神社があります。開拓の神様と犠牲者が祭られています。知事室長時代、私が例年参拝しました。神社は信仰の場であるとともに、地域の文化と伝統の場でもあります。大勢の人から声をかけられました。
2007/01/01 あけましておめでとうございます
2007年が幕明けました、もっとも困難なものに挑戦する年です。全力を出し切ります。頑張ります、見守ってください。12年間続けている朝おき会の元朝式に参加。大晦日は3回目になるジルベスターコンサートへ、会場でたくさんの人に声をかけられました。

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