第34回永田町子ども未来会議:医療的ケア児支援法成立の報告と今後の課題

第34回永田町子ども未来会議の様子。

2021年6月11日、永田町子ども未来会議の発足依頼、5年に及び超党派のメンバーで取り組んできた医療的ケア児を支援するための法律がついに成立。6月16日に行った、34回目になる会議では支援法成立の報告と、今後の課題について話し合いました。なお、会議の全内容は、認定NPOフローレンスのYoutubeチャンネルよりご覧いただけます。

冒頭、荒井からの挨拶ののち、法案の成立までのダイジェスト映像で法案成立までを振り返りました。

会議立ち上げ時からのメンバーである、認定NPO法人フローレンスの駒崎 弘樹氏からは法案成立の喜びとともに、今後の永田町子ども未来会議の必要性と役割を訴えるビデオメッセージが寄せられ、また、党を超え会議に集まっている各議員より、それぞれの個人としての経験なども含めた熱い想いが共有されました。

全国医療的ケア児者支援協議会 親の会部会長の小林 正幸 氏より、「支援法成立により、自治体の責任が明確になった。私たち保護者は自治体に要求を伝え、支援策を具体化する必要がある。地域を超えて、好事例を発信していくことが大切」とのお話のほか、18歳以上の医療的ケア者に対する取り組みが呼びかけられました。

永田町子ども未来会議において、これまでの大島分類に変わる新しい加点制度にご尽力いただいた、小児科医・前田 浩利先生は、厚生労働省の協力のもと、医療的ケア児と関連の制度について研究を続けられています。8000人以上が参加したという、北米小児科学会での発表内容についてご報告いただきました。「やはり医療の発達している場所では、どこでも同様の問題を抱えている。貴重な研究なので、世界中の多くの小児科医と議論ができるよう、英文での論文提出準備を進めていきたい」と、前田先生。

その後、各省庁担当者から一言ずつ。

衆議院法制局 長谷田 晃二 部長からは「議員立法には、成立しても、その後に魂が入らない立法も多く見られる。今回も仏は作ったわけですから、行政庁の方々に魂を入れていただけるよう、ワーク(機能)するようご尽力いただきたい」との旨、また、総務省の新田  一郎 課長からは「各市町村が執行するにあたり、財政的な裏付けを協力できると思っている。厚労省さん、文科省さん、そして先生方のご指導をいただきながら、執行面で努力を重ねて行きたい」と発言いただきました。

これに対し、荒井からは「総務省さんが関わってくれたことは本当に大きい。市町村長は大抵、『財源がない』と言って逃げる。総務省が財源の裏打ちをしていると議会で議論をすればそれは叶う」と、お礼とともに。

長年にわたり、現場で問題と向き合ってこれらた社会福祉法人むそう/NPOふわり 理事長の戸枝 陽基 氏からは次のように発言いただきました。

「こんなに支援が届かない人がいていいのか。全て断られて、『私の子供はこんなに命懸けで生きているのに、生きていちゃいけないことになっている。いないことになっている。』と言われた10年前のことが、昨日のよう。10年前に、(複数の省庁が)横断的に対策を取っていただいて広がっていった。荒井先生が『これ、新しい障がいなんじゃないないか?定義からしなきゃいけないんじゃないか?全く新しい解釈をしなくてはだめなんじゃないか?』と。でも、そんなことできるのかと思っていた。荒井先生はすごく軽く『必要なら作ればいいんだよ。制度変えればいいんだよ。』って。新しい医療的ケア児の、前田先生の判定基準も含めて、荒井先生じゃなかったらここに来なかったな、ということをすごく思っている。地方に行けば『うちの子、いないことになってる』というのは全く変わっていない。実態を伴う対策をこれからもお願いしたい。」

会議後半、全国重症児者デイサービス・ネットワークの前代表・鈴木 由夫 氏の急逝を偲び、黙祷。新代表理事・伊藤 毅 氏と副代表理事・紺野 昌代 氏にご挨拶いただきました。

最後に野田 聖子議員より。

「10年前に、まさきが生まれました。お腹にいる時から、いろんなところに問題があると言われ、看取り産の予定でした。実際に生まれた時には仮死状態だったので産声もなく、覚えているのはステンレスの上に、動いていない真っ白な息子がいて、そのまま手術室に行ったということ。何度も心肺停止を繰り返し、その都度日本の医学に救われ、でも、その度にいろんな付属品が増えてきて、2年3ヶ月で17回ぐらい外科手術をして、いろんなものをつけてもらって社会に出てきました。

なぜ私が率先してやらなかったのかというのは、自分にとっては障害児ではないんです。長男、一人息子です。あれよあれよというまに、自宅がICUになったんです。それも、いきなりなったわけではなく、2年3ヶ月のNICUから社会に出るまでの間に、ステップアップしていった。ただ、就学時になって行き先がないっていうのには、愕然とした。自分があまりに当たり前に生きてきたのと、少しでもそういうものを抱えると、道が分かれちゃうということを感じた。

さっき、宮路さんが言ったけれど、「医療的ケア児」というのが広辞苑に載って、当たり前にいるということを作るのがこの法律の目的だと思う。何かをしてもらうよりも、「当たり前」を作ること。

(法律ができると)見えなかったものが顕在化する。改正していかなければいけない。議員提案(の法律)は、諸事情があると止まってしまうこと。私と荒井先生はベテランなので、結構若い頃よりはうまく回せるところもある。立憲にそういう立場の人がいたからうまく回ってきた。次のプレーヤーをリクルートしていかなければ。継続していくことが大切。荒井先生が大きな一歩を踏み出してくれた。次からも持続可能であること、現実が見えてくる中しっかりと地に足のついた対応ができること、継続していくことが責務。まさきに「法律ができたよ」と言ったら「だから?」と厳しい返しをもらった。立法府なんだからやって当たり前。法律を作ることによって起きてくる問題にしっかり対処できるよう、力を合わせていきたい。大きな一歩だけれども、ここからがスタート。ここからが、私たちの本来の仕事がはじまると思っている。」

荒井より。

「フローレンスが赤字覚悟でヘレンを立ち上げなければ、この会はは無かったと思う。2016年の障害者総合支援法・児童福祉法改正の際、野田先生の息子さんの写真を厚生労働委員会理事会で見せたら、「これは児童ポルノじゃないか」「本人の了解は得ているのか」と言われることころからはじまった。そして、やっとこの法律ができた。

最後に、今日聞いている皆さん方に。選挙で誰かを当選させるというだけの力はまだないと思う。(医療的ケア児は)2万人しかいないんですから、親を含めても(全国で)6万人です。でも、落選させる力は持っている。あの先生はぜんぜん協力してくれなかった、この法案の時に足を引っ張った、そういうことを地元で言ったら、絶対に堪える。今の小選挙区という選挙(制度)は、1,000票とか2,000票の差で当落が決まる。その地域でそういう話が広まれば、当選できない。(みなさんには)そのくらいの力はある。これから地方自治体の選挙も、衆議員選挙もある。そういう人たちをセレクトしていくというのが国民の権利だと自覚して、この法律の実行ある実施を求めていこうではありませんか。ありがとうございました。」

以上。

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