第10回永田町子ども未来会議

第10回目となる永田町子ども未来会議を開催しました。

熊本地震を受け、医療的ケア児等の被災状況や支援の取組について、関係者からの貴重な説明・ご報告をいただきました。

それらを受けて、今後、首都圏直下型地震や中南海トラフなどの激甚災害が起こった場合に、医療的ケア児などの弱者を支援するためのスキームをどう構築するか、また現状では、各省における対策指針・対策がどのように整備されているか等について議論しました。自民党の野田聖子議員、木村弥生議員、公明党からは山本博司議員、民進党からは細野豪志さんと私が出席しました。

当日、NHKの取材が入りました。6月25日(土)17:30~「ネクスト」にて医療的ケア児の問題を放送予定。

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■熊本地震における医療的ケア児等の被災状況・支援の取組みについて

<次第>

1.熊本地震・熊本市民病院への視察について  野田 聖子 議員

・衆議院災害対策特別委員長の任にあり、現場の自治体や首長さんの負担を軽減するため、衆参委員長で相談して、熊本被災地域の合同視察を実施。阿蘇大橋の崩落現場や熊本城、そして前田先生に紹介していただき熊本拠点病院も視察プログラムに組み入れた。

・地震前に建て替えを予定していたが、東京オリパラの関係で人件費、資材の高騰で断念、平成30年には移し変えることになっていた。壊れた建物にはクラックが入っているが、野戦病院を思えば使えないことはない。しかし、医療用タンクにヒビが入って医療用の水が使えないことが致命的。(医療用タンクの件は、今後の防災対策の上で検討すべき大きな項目)

・熊本市民病院は、日本でも有数の総合周産期拠点病院。北は青森から、22都府県に亘って患者さんを受け入れている全国区の病院。NICUにいた患者さんは他病院に移動。赤ちゃんを優先し、大切に抱きしめて移動させた。

◎復興にとって大事なのは、蓄積された医療ストックや、医療集積であるドクターや看護師などの人材が散逸してしまうのをいかに防ぐのかということ。3年後、病院の建物はできても、もぬけの殻という復興にしてはいけない。

 

2.熊本震災が小児医療システムに与えた被害と影響について

前田 浩利   医療法人財団はるたか会理事長・あおぞら診療所松戸院長

・熊本市民病院と熊本地域医療センターの2つの病院が活断層の近くにあったためか、倒壊はしなかったものの、深刻な被害をうけ閉鎖をやむなくされた。それにより熊本市の小児入院ベッド数の約4割が失われた。入院中の子どもは県外に移送されたが、外来通院中の子どもの治療継続が困難。

〇一度閉鎖された高度医療機関を再建するには、3年以上はかかる。3年で設備は建て直せても、技術者集団である人材が県外に流出したら、再度の人材育成に更に10年はかかる。人材流出をどう止めるのか。

・現在の小児医療では、行政も、病院関係者も大規模災害時は、医療的ケア児は病院に避難するようにと言われており、病院の閉鎖、使用不能の事態は想定されていない。

・東京で同じ事態が起こり、老朽化している大学病院等高度医療機関が数ヵ所でも閉鎖になったら、平時でも満床傾向で受け入れに苦慮しているのに、子どもたちの受け入れ先がない。九州と異なり、埼玉、千葉などは平時から東京の医療機関に依存して医療が成り立っているので、受け入れ先となるのは困難だろう。

・九州は、平時から新生児科医師同士が仲が良く、情報交換を緊密にしていて、お互いに困ったら多少自分が苦しくても助けあうという暗黙の前提があった。しかし、関東圏はそのような人と人とのつながりは全くない。

〇東日本大震災のデータによれば、被災三県における障害者の死亡率は約二倍。

また障害児は避難所に行かない傾向が強い。もし首都圏で激甚災害が起こっても、ネットワークと信頼関係がないと子どもを受け入れられない。(もし大震災があったら、うちの診療所の子供達は停電で3分の1が死んじゃうかもしれないと本当に心配。)

・熊本では、小児医のネットワークがしっかりしていたため、病院が病棟整理して人工呼吸器の子供達たちを、全員受け取ってくれた。発電機ではこころもとない。関東、大阪、東京、名古屋で起こった場合に、死ぬ子どもたちをなくすことは本当に大変。

◎どこにどれだけ医療的ケア児がいるのかを把握できる仕組みをつくる。

関東圏全域の新生児医療、高度小児医療のネットワークづくりに着手する必要がある。平時から医療資源、特に医師、看護師が地域と病院を流動的に動ける仕組みを構築することによって、災害時に病院閉鎖されても、地域で医療が継続(在宅医療)できるようにする。

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3.医療的ケア児の福祉避難所の立上げ(熊本)

戸枝 陽基  社会福祉法人むそう NPO ふわり 理事長
※説明内容は下記資料参照

・東日本大震災と決定的にちがったのは、犬猫が避難所に入っていいこと。感染症の可能性で、医療的ケア児は避難所に入られる状況でなかったため、車中生活が多い。大変厳しい状態に置かれている方がほとんど。

・二回目が本震だったため、一回目の片付けを根こそぎやられて心が萎えた。3回目があるかと思って、支援の発信が遅れた。

・閉鎖した病院のスタッフは避難所回りをしている。診療報酬がはいってこない補填をどうするのか、非常勤の看護師などの処遇が課題。

・前田先生たち小児科医グループとの4時間のワークショップを開催。全国から看護師や医療的ケアができる人材の専門職派遣体制を構築。(日本財団による支援で3000万円の予算規模で3ヶ月間)

・情報錯綜を解消するため、エンドユーザーからの電話相談支援窓口を一本化。

◎熊本医療的ケア児福祉支援拠点の常設へ!

・益城町にはもともと在宅支援拠点がなかった。

・出会った子供達に自閉症が広がっている(30人ぐらい)。

・お母さんたちの日常的なニーズがあった。

~退院までは案内するが、在宅支援拠点や福祉施設をつなぐことはしていない。デバイスを必要としないお母さんのケアだけで生きられるような医療的ケアの子供がどこともつながっていない問題

・医療的ケア児で知的障害がない子どもたちは、家族で頑張ればいいと思って、避難所にも確認にもいかなかった。

〇復興は、震災の前より良くなること

・本質的な問題として、「医療的ケア児」は、この5月にはじめて法律に定義された。重心児は、たちどころに安否確認されたが、医療や福祉のネットワークから漏れる子達は誰かを事前にきちんと確認する必要がある。

・病院がなくなってもやれることがあると、熊本市民病院の看護師さんが面倒を見ている。「病院を失ったけれど戦う」と、医療人材が地域を支える仕事にでていく。熊本がその先端モデルになれる。

 

4.小児在宅医療に関する災害対応について

① 熊本地震における医療的ケア児への対応状況

山口 道子  厚労省医政局 地域医療計画課 在宅看護専門官

・熊本県経由の情報提供により安否確認、現地の医療ニーズの聞き取りを行った。電話また現地入りし、主要な小児医療関係者にヒアリングを実施。二回目の大きな地震の直後は、病院に避難するようにライン活用でコミュニケーション物資は一両日中に大量に届いたが、運搬手段がなく医師が自ら配送。

・外来診療、在宅医療はできるが、入院診療は停止しており、福田病院、熊本医大など近隣で代替診療を実施。熊本県は従前から小児医療の連携体制が確立しており、避難誘導、物資、患者の受け入れもスムーズ。東京、埼玉、千葉では難しいが、今後の震災対応で活用できるものはする。

② 要支援者の避難行動の指針や対策

吉野  敦 内閣府政策統括官(防災担当)付参事官(被災者行政担当)付参事官補佐

※説明内容は下記資料参照

 

5.医療的ケア児目線の災害事前対策 ~横浜市都筑区の「そなえ事業」について

小林 正幸 全前脳胞症の会 天使のつばさオヤジの会/横浜重心グループ連絡会

※説明内容は下記資料参照

 

 

<横浜市都筑区のそなえ事業>

・まだあまり登録がないのが実態であり、行政現場でもこういう子がいることを知らなかった。現場では医療的ケア児には対応できないとはっきり言われた。当事者の声として、文科省を通じて、学校から登録を促して欲しい。

 

■ 議論のポイント

・事前に東京・埼玉・千葉までの医療連携と名簿、ネットワークをきちんとつくるちょっと離れたところとの病院との連携が現実的。医療間連携では大阪は強い。関東圏で起こったら、自分の子どもの命を守れる自信がない。

・関東圏は、自分が手術を受ける病院でさえベッドがないのが常態化。NICUも常にいっぱい。

・避難所に家族としてのペットを受け入れたのは、東日本大震災でペットが多数放置されて死んだことからの教訓だが、今回の全面受け入れはマイナスに効いているのではないか。衛生面を考慮して、避難所間での住み分けが必要。福祉避難所になる場所には入り口でトリアージするなど、感染症に配慮される場所を決めておけば良い。

・益城町では、そもそもそもそも福祉避難所が成立していなかった。町役場の機能全体が停止しており、名目はあっても、機能しない。

・1時間や1時間半圏内に、日常的につながれる福祉の拠点、小規模の支えをたくさんつくることが重要。いざとなったら歩いていける距離。熊本との違いは、首都圏で起こったら車がほぼ使えないということ。

 

<資料>
医療的ケア児目線の災害事前対策 ~横浜市都筑区の『そなえ事業』について

第10回永田町子ども未来会議-最終

内閣府要支援者の避難行動

熊本地震における医療的ケア児の福祉避難所の立上げ (2016.06.20追加)