最先端の「豊中モデル」視察

医療的ケア児の守護神こと、小児在宅医療の第一人者である前田浩利先生からのお誘いがありました。
聞けば、人工呼吸器をつけた医療的ケアを必要とする子どもたちが、親の付き添いなしに公立学校に通学できるだけでなく、遠足や宿泊ありの修学旅行にまで保護者なしで参加できる地域があるという。日本で最先端の取り組みです。

この豊中市の仕組みをしっかりと学び、かつ全国にも展開できないだろうか、ということで、永田町未来会議 でともに奮闘してきた有志メンバー数名で、日帰り視察を断行しました。

自民党の野田聖子さんと私、もちろん前田先生、#駒崎弘樹 君、事務局、加えて急遽の呼びかけでしたが、厚労省からは新設の医療的ケア児支援専門官、文科省からも特別教育支援課の担当者にも同行してもらいました。政治も行政も、現場主義が基本にあるべきというのが私が貫ぬいてきた信念です。

豊中市立北丘小学校では、小学校3年生の気管切開の男児のいるクラスで授業の様子を見させてもらいましたが、あまりにも自然体でクラスが進行しているため、聞かなければ、どの子が医療的ケア児なのかすら分からなかった程です。看護師さんも基本的には隣室待機。必要な医療的な措置だけに専念できる体制がしっかりとできています。

次いで、豊中市立野畑小学校では、バギーに乗った人工呼吸器の小3男児のいるクラスで授業とホームルームの様子を見せてもらいました。学習支援の補助教員がサポートしていますが、医療的ケアについては、決まった時間にピンポイントで看護師さんのチームが来て対応します。タブレットを使用して自分のペースで学習を進めている様子や、ホームルームでは、今日は彼が日直当番であること、介助の先生を通じてきちんと意思を伝える姿、特別扱いではなくてそれらすべてを自然体に日常のこととして進めていくクラスメイトと先生の姿に、本当に感動しました。

時間が限られていたので、小学校の多目的室をお借りして、視察をご案内・同行いただいた長内繁樹・豊中市長や教育長をはじめとする教育委員会のメンバー、そして野畑小学校の柴田裕子校長先生、医療的ケア児の保護者の方々との意見交換をさせていただきました。

長内市長からの冒頭挨拶に、私も含めて、おそらく未来会議の一同も度肝を抜かれたと思います。

市長は少し困惑気味の表情で、

「みなさん、豊中は先進的なことをやっているとおっしゃってくださるのですが、私が市長になるずっと前から、40年前から当たり前のこととして取り組んできたことです」

「ともに学びともに育つ。特に先進的なことをやっているつもりはない。」

そういって、豊中市の障害児教育基本方針(写真参照)について話してくれました。

続いて教育長、柴田校長先生からも市の体制概要について説明がありました。
要点を記します。

・市の教育委員会で、公務員として3名の常勤看護師を雇用し、その下に18名の非常勤看護師を雇用している。
7つの公立小中学校で9人のお子さんの医療的ケアにローテーションで対応している。

・豊中市では、特別支援学校に通う必要がない

・学校に看護師を固定配置するのではなく、教育委員会所属で巡回方式を採用。ローテーションの配置や調整は、常勤看護師が行なっている。

・子供たちのケアをする看護師は毎日入れ替わるが、どの看護師が入っても同じケアができるように情報共有を徹底。

・自らが子育て中で、病院で夜勤ができない看護師さんが学校の非常勤看護師として勤めているケースが多い。夏休みや冬休みもあるので、勤務時間を自由に組めるように非常勤体制。出勤日数や時間帯の希望もバラバラ。

・子どもの体調不良などで急に出勤できない場合も多く、調整は大変。欠員の場合には常勤看護師が学校にケアに行くこともあるそう。

・以前は、学校ごとに看護師を固定配置していたが、大量に辞めてしまう時期があった。その経験を踏まえて、その人がいなければ回らない仕組みではなく、現在のようにどの看護師が行っても
同じ医療的ケアができるシステムを編み出した。

◯それを可能としたのは、
市立豊中病院から経験ゆたかなベテラン看護師が
市の教育委員会に出向し、学校と看護師の間の調整役を務めていること。

◯教育現場と病院でチームで動く看護師とでは、
育ってきた組織文化や意思決定方法も大きく異なる。互いの専門領域を尊重しながら仕事をするための通訳が必要。

◯可能なかぎり通常学級でともに過ごすことによって、自然と仲間として受け入れる

◯今後は、市立豊中病院との連携体制の構築も検討中

とりわけインパクトが大きかったのは、
「入学前に、公立小学校に入りたいという希望があれば教育委員会としては断らない。必ず受け入れる」という言葉です。

柴田校長先生も、
「受け入れないという素地がない。私たちは、希望があれば必ず公立校に受け入れることを当たり前としてやってきた。そのなかで、できることとできないことが当然ある。できないことについては、保護者と話し合ってできる範囲や方法を考えていく。」

あまりにも自然体で驚いた教室の空気は、長年かけて、市のトップから行政、学校現場まで「ともに育つことが当然」というマインドが浸透してきたことの結実なのだと納得しながら拝聴しました。

意見交換に参加してくれた保護者のお母さんは、いろいろと調べて、豊中市では医療的ケアをもつ子どもが公立校に通える仕組みがあることを知って大阪市から家族で転入してきたのだと語ってくれました。
「気管切開をして胃瘻がある息子がいる。障害児を生む親はペナルティを受けているというレッテルに悩まされて生きてきた。豊中に引っ越してきた途端に、手元から育つようにするすると、付き添いもなく学校に通っている。夢のような感じ。息子も一度も学校に行きたくないといったことがない。」

もう1人の保護者のお母さんからは、
「2歳から在宅になったが、2歳から公立保育園に第一号として息子が通った。親がいつ死んでもいいように、心がバリアフリーのうちにともに一緒に育てて欲しい。小学校に上がる時、最初は書類もくれなかったが、豊中は受けてしまったら入れざるを得なかった。

保育園から小学校にあげるなかで、PTAが全員知っている顔であり、いまでもその時の友達はずっと幼なじみ。親も、お互いに子どものトラブルのときに助け合う。災害時にもいろんな目配をして助けてくれる。同情してもらうとか一方的ではなくフェアな関係。地域で育ってきたなかの横のつながりや、保育園から一緒の人たちが小学校でも自分たちが守るよと言ってくれている。」

私からは、小学校に入る前の幼稚園や保育園はどうなっているのかを質問。

市長から、「入学前であっても、本市では基本的に、保育園でも認定子ども園でも受け入れる。私学では、人員の関係やハード面の都合で受け入れてもらえないこともあるが、義務教育でやっていることは、インクルーシブとかそういうことでなく、当たり前に受け入れる社会ができている」と回答がありました。

自らも医療的ケア児のお子さんをもつ野田聖子さんは、「義務教育なのに学校に入れない。予算はあるのに、ずっと親が付き添いをさせられているのが全国的に起こっていること。市長さんや皆さんは、自分たちがやっていることを当たり前と思わずに!豊中にとって当たり前が、日本にとっては当たり前ではない。みんな手探りのなかで、お手本があるのは素晴らしいこと。政治は、頑張っているところに対して、シンボルとしてモチベーションを評価していくべき。」だと熱を込めて語りました。

私から市長に対して、ぜひ永田町子ども未来会議に来て、豊中モデルのブレークスルーの方法についてみんなに話して欲しいとお願いしました。失敗の経験も踏まえて生まれた素晴らしい先進事例、せっかくの知見です。多くの国会議員や行政・自治体関係者で共有できるようなオープンの勉強会を持ちたいと考えています。

一方では豊中市のようなモデルがあり、一方では義務教育でありながら、希望しても学校に通えないこどもたちをがいる。地域間格差が広がっている問題にも光を当てていかねばならないねと、野田さんと認識共有しながら帰路につきました。

永田町子ども未来会議
豊中モデル視察
ともに学びともに育つ